資本主義・右寄り・・「増税反対、自由市場賛成、東電潰せ」
社会主義・左寄り・・「増税賛成、自由市場は悪、TPP賛成、経団連守れ、東電守れ、労働組合バンザイ、正規雇用を守れ(過労・失業をなくせ)、死刑反対」
独裁・ファシズム・・「増税賛成、死刑賛成」
である。
混同しないように。
特によく見る論理的に矛盾してるパターンの組み合せで
「増税反対なのに、自由市場反対・死刑賛成、経団連・東電潰せと言うのに正規雇用を守る労働組合バンザイ・自由市場反対」、「雇用を守れと言うのに死刑賛成」
などを見かける。
主張の気持ちは分かるのだが、論理的はとても間違っている。
法(law)を重んじるのが右(コンサバ)、
法の進化系の権利(Lights)を重んじるのが左(リベラル)。
ファシズムは両方とも軽視する。
そもそも人も市場も軽視するので右にも左にも嫌われる。
右か左のどちらかを名乗りながらも死刑賛成だと、論理が食い違ってくる。
国を頼るのをやめなさい~パノプティコンを知ろう~
ミッシェル・フーコーのパノプティコンと生権力(バイオ・パワー)を知るべきだ。
国は国民を生かしながら気付かれないよう監視(規制・搾取)し、危険分子はお互いの利益のために良かれと洗脳し合いながら、見えない国の権力に頼って死刑にする。
国民は自分の判断と錯覚するが、自覚のない他力本願だ。 国・権力が国民を「生かしながら、監視する」のがポイントだ。
生かすのは、権利(lights)を重んじる左翼の役目、言及すれば人権のうち生存権。
つまり労働組合・福祉医療。監視(規制・搾取)は官僚・警察・大企業。官僚=労働組合=経営者はセット。
今の日本のネオ・コーポラティズム。
柵の中の羊をイメージしてほしい。
ギリギリのエサで働きながら生かされ、牧場主は羊達の利益で生きてる構図。
羊が不満足を言っても牧場主は「柵で守ってるから安心だ、頑張って働けよ」という。
これが労働組合(羊のボス)=経営者(牧場主)の癒着。
逃げ出す羊は牧場主の上司の官僚(国)に射殺される。
怖いのは通常なら同じ仲間の羊が射殺されて「わー怖い、おのれ牧場主め、こんな柵出て行ってやる」となるのが自然だが、柵の中でギリギリ満足できるように「生かされている」ので、「何であの羊は柵から逃げたんだ。バ力や。ここにいれば安全なのに」
・・と柵の中の羊同士が錯覚して洗脳し合うこと これがフーコーのパノプティコン(全展望監視システム)。
柵内の羊は、羊(労働組合)と牧場主(経営者)は対立してると錯覚し、それを上から監視して摂取する王様(国・官僚)の存在にさえ気付かない。
ネオ・コーポラティズム(国=企業=労働組合はセットで利権)は、抽象度の高い人だけが気付ける。