銅鐸を見れば分かる~卑弥呼の邪馬台国以前の古代日本~

銅鐸に興奮せぬ者など皆無

ヤマト王権が始まる前に「銅鐸しねしねマン」が奈良の邪馬台国周辺で大暴れしているので、その九州から来た船団の歴史を追求した方が、それより前に何やってたのか分かりやすい。

紀元前2世紀にこの中国南部の銅鐸が日本の九州に輸入される。
九州の隼人(ハヤト)系が、奈良へ移住してニギハヤヒを名乗って儀式的に使う。

太鼓など打楽器の時代から、弥生時代の銅鐸は鐘として権威の象徴に使われた。だから次第に大きくなった。
和歌山県の銅鐸の出土地が西側の沿岸部に集中しているのは海賊の中華系倭人の拠点だったから。
大峰山奥駈道から攻め入られて大和朝廷樹立後は銅鐸が歴史から消える。
https://www.hakubutu.wakayama-c.ed.jp/permanent/kodai1/03.htm

神倉神社のゴトビキ岩/琴引岩/天磐盾/神倉山遺跡(和歌山県新宮市) https://megalithmury.com/2019/08/gotobikiiwa.html ゴトビキ岩に対して埋納されていた弥生時代の銅鐸が、後世になって経塚を築いた際に切りあい、破壊されたもの

熊野速玉大社を訪れ、20年前の小銅鐸はどうしたかというと、同宮司は「まったく知りませんな

奈良に大和朝廷を樹立した時、
九州からニギハヤヒの新団が海路で四国の南沿岸を沿って、和歌山の勝浦まで来て、
熊野本宮大社から熊野古道、大峰山奥駈道を通って吉野から、邪馬台国のあった桜井市に攻め入ってる。

25:55​ 銅鏡流入減少への倭人の対応
29:22​ 銅鐸の一斉埋納事件

“【古代考察】なぜ後進地域だった奈良盆地が西日本の中心になったのか【畿内説】 〈前編〉

2世紀に再び九州のニギハヤヒ系が、朝鮮新羅の漢族が豪族となっていた奈良を今の熊野から攻め入って、古いニギハヤヒ文化ごと排除する。結果、銅鐸が作られなくなる。
奈良に大和朝廷(天皇の歴史の始まり)成立。

タイトルとURLをコピーしました