なぜコロナの話題はタブー視されていったのか?

医療・社会福祉

2021年現在、あと一ヶ月ほど第4波は続くと思います。しかしすでに重症者・死者数が冬の第3波規模に到達しています。
すでに2011年の東日本大震災の1万人規模の大災害レベルで人が亡くなっています。

このままいくと今年の秋の9月頃からの第5波は今の2.5倍~3倍規模で来ることになるでしょう。

しかしこの話題をタブー視される空気があります。なぜでしょうか?

身近で聞くようになって話せない

コロナの話題はタブー視されたのではありません。
「空気」の中に溶け込んだのです。

「もう飽きた感」「慣れた感」「面倒くさい感」という「みんなそれは慣れて飽きて面倒くさい」という集団圧力となりました。

戦時中の空襲のように、毎日、戦闘機が家の上を通ると、当初は「わーこわい!」だったのが、次第に食事をしたり、防空壕に形式的に入ることに慣れてしまいます。
これが人間の適応であって、優れた能力でもあるのですが、逆にそれが危険なのです。

シャッターを下ろして対岸の火事ではなくなる

人間は外に大衆興味が拡散している時、「みんな私に注目してない!」と本能的に自己承認欲求が働きます。

お母さんが洗い物をしているときにかまってほしい子どもの本能です。当たり前に誰でもあります。

なので周りの行動と逆の行動をしがちです。

子どもなら皿を割ってでも、悪いことをしてでもママを振り向かせようとします。

例えば「関係NEE!俺TUEE!」とドヤって斜め上から自己愛を保存する行動をします。

しかし「みんな私に興味持ってー!」とやっても、職場や家族や知人等で身近でも感染者を聞くようになって、軽率な発言ができなくなってしまうのです。

そして「臭いものに蓋」と思考停止してシャッター降ろしてしまいます。

それが抑圧になります。

抑圧した結果、外界にどう反映されるのか

見ないように抑圧しているものは必ず外に投影されます。それが行動や言動に表出されます。

極端すぎるほど排他的・差別的でIQが低くなって精神病傾向と相関していくのです。

社会的不安を、斜め上から見て自己愛保存したと思えたり、雨の日に「みんなざまぁ」と元気になるうつ病者のように嗜虐性に自己陶酔していれば、(長続きはしませんが)防衛機制やコーピング行動としてマシなほうです。

深刻なのは、マシンガン食らったように、まともに社会現象を自分のこととして不安の悪霊を全盛りして虫の息になる人もいます。

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