医師の初期研修でのパワハラ自殺も、
看護師の看護学校でのパワハラ自殺も

憲法の「基本的人権」に「医療倫理や医療諸法が連なってるツリー構造」の認識が教育者サイドにないので起こるのです。

「サッカーのルールに殺人は書いてないから試合中は殺人しても良い」と勘違いしてしまう。

申し訳ないが、それくらい教育者が頭悪い。


患者を人質に取って良心を利用する

思考行動パターンは同じ。患者を人質に取って「患者がどうなってもいいのか!この人手なしめ!」と良心を利用する。

強盗が子どもを人質に取って「言う通りカネだせ!子どもがどうなってもいいのか!」と脅すのと同じ行動。

冷静に考えれば「人手なし」と他人に求める以前に、その脅迫がそれ以上に明確な犯罪なのです。

「恥と罪」で操作する

恥の文化と罪の文化。
「恥と罪」
日本人は「他者に重点においたルール違反」
欧米人は「神の命令に重点をおいたルール違反」
「安心と信頼」も、他人中心か自分中心かで同義。ヨコかタテ。
行動慣習において自己の意思決定や、他人を操作する時にも同じ。

私も教育学部の時「アップデート更新」という概念が皆無なので、学部から教員になって現場の教員の脳が20年遅れている現状に閉口しました。
医学編入後は、医療では教育の基礎概念すらなく「罰ゲームと公開処刑」を志向とする「サルの信仰の芽生え」みたいな段階に脳が腐りそうでした。

教育学部から医学編入したときに思ったのは
「内容は高度で最先端のことやっているはずなのに、“教育”のレベルが低すぎる。」

例えば、「指導」という上から目線の言葉。

今は福祉施設でも同じ目線を重視して「支援」や「援助」となっているが、いまだに「指導、指導」と患者へも医療教育でも使っている医療者がいる。

「指導」と使っていると、言葉遣いが古臭い上に、昔から勉強してないことまで分かってしまう。

医療福祉職は絶対に使わない!医療福祉分野での「死語」の言葉~指導、更生、苑生、老人、痴呆~

脳が5歳児から「成長していない」ので「周りをそれ以下に、自分が見下せるまでに、戻そう戻そう」と「自分は怠惰なまま他人は不幸になれ」するがため、他人の成長を信じず、教育とも呼べなかった。
エフィカシーもコンフォートゾーンも低すぎて、大人が幼稚園児に教わるような違和感の知能差を感じた。

上が「自分が一番詳しくてすごい」と過信して怠惰であるがゆえに新規情報や改訂版の方法論がきても、更新せず否定して潰し、
新しいことは、事あるごとに「鉛筆手書きに戻して、反省文を書かせて」の「自分より下へ退化させよう」「不幸にさせよう」と非効率化するので後に大きなアクシデントを生む。