最近は日本語ペラペラな中国人の大学院生の友人が増えたが、
権威主義とネトウヨにかぶれる日本人の頭の悪さと比較すると、
中国人の方がスペックが高すぎて心を折られる。
あまりに日本の学生のレベルが低すぎる
日本の学生と言えば、
理系TUEE!
選択と集中で、文科省の大卒文系官僚様を国立学長に天下らせてTUEE!
韓国の統一教会様TUEE!日本を改憲して日本人の人権ごと学問や表現の自由をなくそう!
もっと自民党様の世襲議員と官僚様に増税してみつごう!
これが保守!逆らうのは左翼!
知能のレベルが違う
数学者が、数学が科学的に実装されて大衆に功利性を理解されるまで100年以上かかるように、
最近は、私の言ってることも大衆に具現化されて理解されるまで5〜10年以上のラグが生じることが分かった。
理系とコミケ表現の自由と真逆の論理が「選択と集中」
「理系の科学論文」や「コミケの表現の自由の文化」と真逆の論理が、国のやる「選択と集中」
新規更新と参加機会平等。
コレと逆のことをするのが「選択と集中」
規制により、特定の産業に官僚を天下らせて、増税で税金を注ぎ込んで豪遊して消耗するシステム。
中間層が形骸化するので産業全体が衰退する。
これを最も嫌ったのが慶應義塾の福沢諭吉。
なぜ学ばないのか?
「表現の自由」並みの護憲と、コミケ並みの「選択と集中しない」新規参加機会平等で中間層を埋められる理想的な構造モデルケースがあるのに。
それを「学問の自由」にも「思想の自由」「財産(身体所有)の自由」にも適応するだけなのに。
なぜこちらも増税と規制の警察国家的な全体主義にするのか。
新規的な研究は、本来は捨象されていた統計的な外れ値から積み上がってくるので、
コミケのように参加機会平等で玉石混交のランダム投資してないとイノベーションもスタートアップもない。
「選択と集中」で過去の既存のものだけに絞ったら、大手以外はすべて消え去り、未来の花も咲かなくなる。
「選択と集中」は中世以前の規制と増税に直結する思想。
近代化の学問の先人が聞いたらガチギレする。
質素倹約・勤勉で、低い身分や貧困でも大成する「参加機会平等」の重要性を示した二宮金次郎。
それを前提に次世代で「学問のすゝめ」で成長や自立を説いた慶應義塾の福沢諭吉先生。