なぜ国立大学法人改正が最悪なのか?~コネ役員がカネを持ち逃げする~

京都大学職員組合など、国立大法人法改正案の廃案を要求「政府介入、学術会議問題に通じる」  https://kyoto-np.co.jp/articles/-/1147973#Echobox=1700044067 廃案を求める共同声明を出したのは、京都大学、東京大学、大阪大学、名古屋大学、岐阜大学の5大学の職員組合。

国立大学法人改正で簡単に言うと
日本を代表する国立大学の学長に、
学長と同権限を持つ文科省の学部卒の文系官僚が3人も天下るようになるので、
学費や補助金を彼らが豪遊のために持ち逃げして「あれれ〜?お金がないよ〜?学生の研究意欲が足らないのかな〜?もっと学費を上げて~?ギャハハ」とやる

なぜ国立大学法人改正が最悪なのか?~コネ役員がカネを持ち逃げする~

国立大法人法改正案で、国立大学の学長クラスに文科省の官僚(文系学部卒)のおじちゃんが大量に天下ってくる。
学費と補助金で小遣いもらって、持ち逃げ豪遊できればそれでいいと考えてる。

もっと学歴が上の大学院の理系の最新研究者なんて目の上のたんこぶなので、最速で淘汰されるでしょうね。

「選択と集中」で、どの研究者も「最新で新規的なことやっている」を「自分は選択と集中される側だ」と生存バイアスをガンギマリさせてるだろうので一応言っておくと
研究の選択と集中ではなく、天下り官僚役員が楽して不労所得する目的の集中なので、何を研究しても切られる

研究者側の生存バイアスの研究になりそう。

研究者に「自分は最新研究をしているか?」と聞けば、当然ながら新規論文書くので「してる」に決まっていて選択と集中側と勘違いするが
国は「コネ役員のみ(選択)を大学に天下らせて不労所得にすること(集中)」と言っているので、期待する意味と全く違う

なぜ研究者でも選択と集中を支持してしまう人がいるのか?

「選択と集中」は全く科学的ではないけど
たまに自称理系で虚栄心の強い人が、権力側に憑依して擁護論を張る御人と変貌し、
幼稚な権威ダイスキッズゆえに、個人の自己愛のほうが理性より勝ってしまい、科学的な合理思考ができなくなってるんやろうなと感じる。

そもそも日本では科学論文で新規的な研究しても「それはアメリカ様はやっているのか?やってないならダメだ。先に発見するのは常にアメリカ様であって、成果はアメリカ様へ譲らないと。」と、最新は最速で潰すマンが出てくるので10年遅れる。

空箱だけになる

例えば、今のS&P500などインデックス株に象徴されるように
GAFAMの超企業だけが引っ張って、それ以下は別に伸びてない。

「箱だけ」「看板だけ」で中身は空。

私利私欲にキックバック報酬を受ける天下り官僚や役員の数名が上にいるだけ。下はひたすら貧困。

「稼げる大学」「選択と集中」はこういう末路。

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