道教 vs 仏教という腐った時代~吉山明兆「五百羅漢図」~

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鎌倉時代の吉山明兆の「白衣観音図」のような当時では先駆的な絵画を見る一方、
「五百羅漢図」のように「仏教典は燃えない!光を放つ!ざまぁみろ道教!」「あの有名な僧侶は仏様だ!」など
仏教権力にベタベタで「ありがたさを通り越して恩着せがましい」ほど仏教権力を推す1300年代の京都の気色悪さ

とは言え鎌倉時代の前、平安時代までの日本の貴族の豪遊と庶民への飢餓貧困の腐りっぷりを見れば、武士が出てきた経緯も分かるし、平安貴族の奈良時代からの道教(陰陽道)を燃やして、新しい仏教の理論でマウント取りたくなる気持ちは分かる。
600年から1300年頃まで700年も腐ってた。

日本の鎌倉室町時代にも仏教が流行って、道教(日本では陰陽道)を弾圧したが、
先んじて中国の南北朝時代の道教 vs 仏教の歴史を見ると道教も大概のカルトだったのが分かる

道教の歴史 中国三大宗教の一つはいかにして誕生したのか 【春秋戦国 漢 魏晋南北朝 隋 唐】
https://youtu.be/XMBw3K0_2Xs?si=xjTxOpKcd9nyqs_d


1386年の吉山明兆の「五百羅漢図 第1号」
道教と仏教の経典を燃やして「道教は燃えたザマァ!仏教燃えないTUEE!」と神道系の道教(陰陽道)を見下し、当時の仏教の坊主そのものを仏として権威的に描かれた胸糞が悪い絵。南北朝の足利尊氏・後醍醐天皇の頃、禅宗が武士の宗教

五百羅漢図 第1号 | TSUMUGU Gallery 紡ぐギャラリー
伝説の絵仏師・明兆~自在な筆さばきと鮮やかな極彩色
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