この世のしがらみから解き放たれて自由になるのがお葬式

心理学・精神医学

プロフェッショナル 仕事の流儀「生老病死、四苦に立ち向かう~僧侶・高橋卓志」
http://www4.nhk.or.jp/professional/x/2018-12-17/21/20954/1669514/?fbclid=IwAR1v1Hkyo6b11Ehw49AdEQKMeoirjhNbJFWz-V8-RCj4Ty6ZfwoTiwjqUe0

知人がプロフェッショナルにされててびっくりしました。

この生前を尊重、遺族の気持ちを尊重した葬儀の方法は素晴らしいと思います。

しかし一方で、「この世のしがらみから解き放たれて自由になる」のがお葬式なので、
生前のしがらみを強調させることが良いかというと微妙です。

合う人には合うのかもしれません。

今後、2025年を堺に団塊世代が多く亡くなっていきます。

葬儀も多様化する中で、選択肢の一つとなればいいとは思います。

私の馴染みの火葬場も炉を増やして回転率を上げています。

お寺も永代供養にして粉末を納骨しています。
坊さんもチンドン屋みたいになっています。

よく神社仏閣もお坊さんもいなくなるのでは?
という意見があります。

神社仏閣はなくなることはありますが、死者を弔う僧侶や神職は人類滅亡までなくなりません。

なぜなら「死」は理不尽で意味不明なものであり、これを解釈するには「意味不明な儀式」をぶつけなければならないからです。
そうしないと残された遺族の心境として締りが悪いのです。

実際、葬儀・供養は人類が誕生した類人猿の頃から始まっていました。

今後も人類滅亡するまでなくなることはありません。

墓地・火葬場・納骨堂は保健所管轄。屋外に作る。

永代供養されるでもなく墓を作られるわけでもない遺骨が屋内あるのは保健所的にはアウトなので、無縁仏でも野外に何らかの供養塔を建てて納骨しなくてはなりません。

墓地や火葬場や納骨堂は保健所管轄で、お寺も監査されます。

実家の寺では骨は外に置かないといけないのです。

職場の手術室では抜歯した歯は任意で患者が持ち帰り、内臓は解剖後に検体、なのに切断した片足は保健所へ。

骨がついてると保健所になるのかと思います。

カルビと骨付きカルビの何が違うのか?

歯や爪も骨だが保健所に届けたりはしません。

目も露出した脳の一部だが脳とは認識されにくいです。

脳が腰まで脊椎神経で繋がってるようにイメージしにくいです。

線引きが微妙なのです。

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