息子3人を東大に合格させた「東大ママ」の次男が、Facebookでネット上で賛否を巻き起こした母について「子供自慢が行き過ぎた」「母の発言はなんの資格も、社会的責任もない一個人の主婦のもの」と発言したことがあった。
「東大ママ」は「高校まで子どもの靴下まで履かせてあげること」と言って徹底的な過干渉・過保護を実践していた。
食事中も日常生活中ずっと入試問題をママが出してる様子がテレビで放送された。
なぜ高学歴者はマザコン(マザー・コンプレックス)が多いのか?
高学歴で飛び抜けて頭いい人ほどマザーコンプレックスなのは、
幼少期から高校まで親が過保護すぎて
良くも悪くも心理的な安全基地が安定するから。
教師や同級生からの無用なストレスに押し潰れずに済む。
しかし社会に出た時に自分の育った環境との摩擦に押し潰される。
幼児期の「ママに守られてるから僕ちん全知全能なんだい!」の万能感は保持しつつも、徐々に緩和するのがベスト。
これを「そっ啄(たく)」という。
過保護を保持したままだったり、急速に破壊されたりしても、自己愛性として表出する。
客観視できる能力が発達しないので、自分以外の人間はゴミになる。
現在の教育は、
全員が自閉症・サヴァン症候群(丸暗記の天才)を目指すことを目的としている。
鉛筆を持ち「ネットも資料も使わず解かせて再現する」という前時代的なもの。
そこで世間的に評価されて褒められて肯定感を得て、
自分のやったことは正しかった、自分(=世間)は正しいという
一連の洗脳が完了する。
世間の違和感に気付ける人は、何らかの大きな挫折経験を味わった人。
それも
自分の努力ではどうしようもできないような
理不尽で
不条理で
偶発的で
孤立してしまうような挫折。
それは図らずも
みんなが乗ってる電車から降りることになり、レールから外れ、
徒歩で砂利道を歩くハメになってしまった人。
落ちぶれたかと言えばそうではない。
逆に速度がゆっくりしたので、
スピードが落ちたので道端に咲く花の綺麗さ、
誰も気付いてない良さに気付くことができる。
哲学者ヴィリリオは、このような「先へ先へ走らせ、追い立てる強制力」を「速度(vistisse)」と看破し、
速度によって国家も社会も組織も個人の生活もすっかり背後で操られ、駆動され、突き動かされている社会構造のことを
ドロモロジー(dromologe)
と名づけた。
近代資本主義の構造であるドロモロジーにより、現実をありのままに見ることが困難になった。
しかし大きな挫折経験などでそこから脱したことで哲学者M,プルーストの言う
「瞬間生(レアレテ)」に気付ける。
「時間」と「空間」も分からなくなった「世界との一体感」のことだ。
難病で闘病中の人や、そのような経験がある人だと、「瞬間生(レアレテ)」は感覚的に分かるだろう。
ドロモロジー(<今ここ>ではない<いつかどこか>の前方へ競わせ走らせ、
追いたてる原理)の洗脳から抜け出した者にとっては、もはや元の世界へは帰れなくなる。
悟りの道へ向かうしかない。
瞬間を生きる哲学 <今ここ>に佇む技法 (筑摩選書)