よく日本人は「よく働き」「時間を守り」「親から自立する」といわれます。
それが理想の姿のように言われます。
この習慣はいつからあったのでしょうか?
皇紀2679年(2019年現在)のうち、
日本人の「勤勉さや時間を守る姿勢」は150年程度。明治からの近代化以降での歴史しかありません。
日本人の「親の実家からの自立」も60年の歴史しかありません。元は「不動産屋のマーケティング洗脳」です。
なんと、おじいちゃんからおとうさんへの2世代程度の歴史しかないのです。
「社会の常識」と言われるのは皮をむけば実に薄皮。
本来の日本人は、自立して勤勉でもないのです。
日本人の「勤勉さや時間を守る姿勢」の歴史
日本人の「勤勉さや時間を守る姿勢」は、明治からの近代化以降です。
その象徴が、小学校にある銅像「二宮金次郎」です。(今はもうある小学校も少なくなりました。怪談話で語られる程度です。)
明治時代の資本主義導入に伴いキリスト教プロテスタンティズム(質素倹約・勤勉労働)の象徴として、イエスの代わりに二宮尊徳(二宮金次郎)を小学校に教祖として像を建てまくりました。
しかし日本の儒教を捨てきれず。丁稚奉公の様相が強い。自由の精神が抜け落ちてしまったのです。
とはいえ逆に明治時代以前にイエス・キリストの代わりに足るような人物が二宮尊徳以外にいたかどうかが疑問です。
プロテスタンティズムの精神条件として、質素倹約で勤勉労働かつ一般の貧困家庭出身でないといけません。
英雄ストーリーになりません。豊臣秀吉のように古すぎても時代に合わないのです。
明治時代以前、江戸時代は「彼誰時(かれだれどき)」と言って時計すらないので、夕方に辺りが暗くなると「彼は誰か分からなくなる時間」という言葉があるほど時間に曖昧でした。
日本人の「親の実家からの自立」の歴史
これはもっと歴史が浅いです。
「親の実家からの自立」は元は「不動産屋のマーケティング洗脳」です。
昔は祖父母と、父母と子どもという拡大家族が日本の基本的な家族の形でした。
しかし高度経済成長時代やバブル景気時代に日本の会社が成長するようになり、地元より都会に丁稚奉公するのが多数派となったことで、それが正しいことのように錯覚されました。
そのときエアコンや炊飯器や掃除機などを家に設置しようとすると、5人のサザエさん型の拡大家族だとコスパが良すぎるのです。
家族がバラバラになってくれれば、一人ずつ買ってもらえるので儲かります。
そこで不動産屋は一人暮らしを勧め、家電屋もそれにのっかりました。
家族5人がバラバラに暮せば、物件が売れるだけでなく、その分だけエアコンや炊飯器や冷蔵庫も売れるのです。
もはや日本人の習慣でも文化でも何でもありません。
バレンタインやハロウィンと同じレベルなのです。