ASDの「自語り」と通常の「自分のことを話す」との違い

ASDの「自語り」は通常の「自分のことを話す」とは違い

①他人が話しているところへ横から追突して割り込む
②「それは違う」と否定しかしない
③自分の経験則だけで必ずしも当てはまらない「局所解」へハメ込もうとする
④自分だけの「答え」を断定して他人へ強要

話題のひき逃げ・拉致・暴投が起こる

逆を言えば、通常の「自分のことを話す」とは①~④をしないことである。

刷り込みのように事前先行入力された視覚情報との現実との整合性を取ろうとするため、
空間における「想像と違う」「自分の空間が脅かされている感」の不安感を論理的に合わせようとして、端から見たら局所解の奇妙な思考の袋小路へ迷い込む。元より愛着障害が根底にあると起こりやすい。

気付かれないことの方が深刻

臨床でも「安心できる空間」を担保し、刺激による心理的侵襲が少ない環境でなければいけないが、通常の家庭や学校や職場に明らかに診断されないまま潜在化しており、組織内で上の立場でパワーを持った時に必ず上下で折衝が起こる。

ASD vs 潜在ASDのようなことが起こる。気付かれないことの方が深刻。

発達障害や知的障害が歳を取れば潜在化

発達障害や知的障害が歳を取れば生きやすくなることはなく、ドーパミン量が減って興奮的な多動や過集中が減り、大人しくなって可視化されにくくなるだけ。
潜在化されて「気付かれなくなる」
全く良いことではない。

これが30代後半か、40代くらいからで。特に発達障害に関しては、客観的で抽象思考がしにくいので喜怒哀楽の感情の起伏が激しく、精神年齢がどこか低く感じる。
学校や会社で自他ともに思い通りにならず「ウワー!ヒー!」と気分屋の感情に振り回されてしまう人が多かっただろうなと。

愛着障害において
「言語と身体化」
「同じ言語で理解されて」
「それが身体的・感覚的に分かる」

幼少期にこの2つがないと内的に入ってこない。

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