「コスプレじゃないです。ハロウィンです。」
「ヌーディストじゃないです。はだか祭りです。」

こうやって個人の濃ゆい思想性を、古くから伝統共有される文化的行事に溶け込ませることでマイルドに薄めてお出しするのです。ブラックをカフェオレにするように。

先日行った台湾で測らずもLGBT世界大会に紛れてしまい、レインボーな旗と、ついでにウクライナ国旗が立てられている様子に、
ラーメン屋で頼んでもいない追い飯が無料で追加されたような、断れない感じのやり方が上手いなと思いました。(個人の感想)

日本の閉鎖的でも権威保守的な田舎を民主化する目的で反体制的なヒューミントを仕込むとしたら、祭りという切り口は、自由と玉石混交の平等思想が入り込むので絶妙に良い。

平和のないことが産業を生む

フランス国旗🇫🇷に象徴されるように「自由・平等・博愛」で、自由と経済発展が機能するのに、新規参入機会平等と、平和(投資対象=戦争してない)が大前提。

革命が「自由、平等、博愛」であったように、流行る条件として
・新規的に自由に
・誰しも参加機会があり
・ヨコでもみんなやってる繋がり感

が揃ってないと長続きしません。
どれか一つでも欠けたらだめです。

インボイス制度のように売上1000万円もない新規参入事業から税金を取るスタートアップ潰し。産業が発展しない。
こんな旧ソ連や北朝鮮のような全体統制主義のドブカス政策が来ると、
自由と平和が脅かされるので投資対象からも外れてしまうのです。

日本にはコミケという理想の社会モデル像があるのに。

上層部で独占せずに中間層以下を拾い上げるシステム。誰しも参加機会があって自由で民主主義的。

これと真逆のことを実社会でやるとその分野は衰退する。

よく中学生の言葉遊びで「平等なんてない。公平はある。」のは正義の議論でもそうなのたけど、
平等市場を探した時、裕福でも貧困でも「市場参加機会の平等」はある。
これが阻害されると労働市場の流動性が担保されなくなる。

公然と阻害するインボイス制度は見紛うことなきドブカス。