「勉強しなさい!勉強しなさい!」と子どもの頃、よく言われませんでしたか?
しかし実は「勉強」とは、本来「遊ぶこと」という意味です。
勉強(study)の語源は「遊ぶ」こと
勉強をstudyと言いますが語源は「熱意を傾ける」ことです。
何に熱意を傾けるかと言うと「神様の信仰以外に対して」です。
例えば、今でだと勉強せずにゲームしていると「遊んでる。ひまでいいな。」と言われます。
それが当時は「信仰以外の勉強」でした。
今で例えると、いや~な学校での勉強は、当時は修道院での信仰のことです。
修道院へ行かず、キリスト教の信仰をせずに聖書以外の本を呼んでいると、
「信仰しないでstudyしている=遊んでいる。ひまでいいな。富裕層だな。」となったわけです。
studyは「熱中する、努力する」のラテン語 studeoに由来します。
今で言うスポーツ観戦の「スタジアム(studium)」も同じ意味です。
studyはそもそも静止(st)の接頭辞がついています。
stu ステューというと、馬鹿な人、切られたとなります。
例えば、学生(student)のstu-dentだとdent(へこみ。例:デンタルと歯のこと)となります。
「馬鹿な人のへこみ」です。
ひどくネガティブな意味合いになっています。
後述しますが「play」=遊ぶと語源は似ています。
学校(school)の語源は「ひま人が集まる場所」
学校(school)は暇人が集まる場所です。
語源はラテン語のschola(学校)からきています。
元はギリシア語のskhole(スコレー:余暇、ひま)です。
「学者」を意味する scholar (スカラー)も同じです。
古代ギリシアでは、勉強(study)できる生活に余裕のあるブルジョワ(富裕市民)貴族でした。
その遊んで勉強(study)するような人達が集まる場所が、学校(school)という暇な場所でした。
今でいうと学校や会社へ行かずに勉強もしない、ひきこもりゲーマーを集めたような場所が当時の学校だと思って下さい。
その学校という暇な場所でやっていた学問のこと、哲学・神学を特にスコラ哲学・スコラ神学と呼びます。
スコラ学はラテン語「scholasticus」(学校に属するもの)に由来する言葉です。
当時、修道院では信仰を根拠なく強要させているだけ。神様の言葉を言う僧侶様の言うことが絶対。
それ以外で人間が理論的になにか言うことは許されませんでした。権威だけでした。
そこでスコラ学では、矛盾している問題を理論的に解決しようとアプローチしました。
なぜ富裕市民が暇に出来たかと言うとギリシャのポリスには「奴隷」がいたからです。
「奴隷」が石工業などモノ作りをしてくれるので、富裕市民は自由な市民で暇でした。
このようにそもそも「study」や「school」はネガティブな意味合いが強いです。
スチューデント・アパシーの語源
スチューデント・アパシー(student Apathy)という言葉があります。
学生の無気力という意味です。学生になって燃え尽き症候群になってしまった時によく使われます。
アパシー(Apathy:無感動)は、感情 (pathy)がなくなった状態 (接頭辞a)をつけます。
接頭辞のaを付けない状態をpathos。ギリシャ語でpassionといいます。
「play」(遊ぶ)の語源です。
スチューデント・アパシーとは、「studentがApathyになった」「遊んでいる馬鹿な人が遊ばなくなった」という意味です。
アパシーという言葉が使われているのは、そもそもstudentが遊び人だから、単語を相殺して打ち消しているのです。
価値観は固定化されると歴史的にひっくり返る
昔の学校は、今でいうと学校や会社へ行かずに勉強もしない、ひきこもりゲーマーを集めたような場所。
それがいつしか、「studyしなさい!」と言われるようになり、学校へ行かないと「アパシー」と呼ばれるようになったのです。
世の中の価値観は固定化されると、下の奴隷の層が多数派になって、価値観の逆転が起こります。
これをパラダイムシフトと呼びます。
今まで「いけない」と言われていたことが社会の常識となり固定されます。
また新しい「いけない」ことが作り出されます。
これをカオスと言います。
今は総合大学(University:宇宙で一つの神の真理)で勉強(stuby=信仰に熱意を傾ける)するということが強要されています。
しかしその時代も終わりつつあります。