夏目漱石『牛のようにぐいぐいと押してゆきなさい。世間は、一過性の花火に驚いてみせることはありますが、そういうものはすぐに消えてなくなります。 世間(せけん)は人がこつこつと時間を掛けて成し遂げた仕事にしか頭を下げません』(夏目漱石:弟子の久米正夫と芥川龍之介に当てた書簡より)
私はこの夏目漱石の言葉が大好きだ。
はっきり言おう。
誰かに勝とうとか言う復讐心や、
誰かを見下してやりたいという他者軽視、
「外的動機」での勉強を「ニセモノ勉強」といい、
自分が向上したい、誰かのためにという利他的で建設的な願望、
「内的動機」での勉強を「ホンモノ勉強」という。
夏目漱石が言ったように、
目立ちたがりだけのニセモノは一過性の花火のようにすぐ消えてなくなってしまう。
勉強するにしても、まず「その勉強に自分が費やすだけの価値があるかどうか」と自問自答する必要がある。
目的がはっきりしていなければホンモノではない。
そこへ向かうエネルギーが生み出せないから。
自分個人で見いだせないから、誰かに勝とうとか、見下してやろうとか、
虚勢や他者軽視や復讐・・
人として浅っっい動機付けになってしまう
そうなっているときは、本来自分がそれを好きでないときだ。
取り組む意味を見いだせていないときだ。
夢中にハマっている時はイヤミなことは考えない。
例えば、気分解消のためにゲームをしていて最初は楽しくやってたのに敵に負け始めて面白くない。
負けたことでリアルで負けた出来事まで思い出して不快になる。
もっとゲームで勝って昇華してやろうとする。
すでに動機は他者軽視や復讐心。
本来の楽しむという目的から遠ざかってしまう。
例えば、趣味で始めた縄跳び。最初は楽しくやっていた。
1日400回飛んだ。満足していた。
同級生のBちゃんは500回飛んでいた。
それに負けじと自分も500回飛ぼうとした。
内的な目的でやり始めたのに、外的な他者軽視や復讐心にすり替わっている。
本来、楽しくやるためなので、他人のことなんてどうでもいいはずなのに。
自分自身がそれに気付くことが大切だ。