「自虐的な介護虐待」と「モノに憑依する」現象

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被害者面の介護虐待例
①「お前は食事はできない、トイレもできない。着脱もできない。何をやっても無理無理無理、無駄無駄無駄。」と被介護者へ呪詛の言葉をかける
②「できる私がそれを手伝ってやる。汚して勝手に動くのは私への裏切り。ほーらやっぱり、お前は嘘つきの卑怯者。」
この声かけループ

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被介護者への負の声掛け

虐待の介護者は判を押したように言動が同じ。
自身が幼児脳ゆえ、被害妄想で悲劇のヒロインとして注目を浴びたいが、立派だと称賛も受けたい。
自ら介護者の介護現場にヘッドスライディングして「なんで私がこんな目にぃ〜!きぃ〜!みんなで被介護者を叩こう!」と犬笛吹いて嘆く。

 

過保護という名の「過干渉」をされすぎた子どもは「自分は不幸でないと親から承認がもらえない」と育つ。
我先に不幸になろうと不幸のビーチフラッガーを取りに。
自分より不幸な人をあざ笑い、自分はそれより少し上だと際限なく基準を「下へ下へ」
俗にシンデレラ症、メンヘラな境界性の人格を形成。

この過干渉の親の介入は「スパルタ型」が多く、強迫性障害のように自他を否定しながら、自他に完璧主義を求める。
強迫性障害の親下だと全ての基本欲求が規制・抑圧されるため、ストレスの矛先が外へ向かえば殺人、内へ向かえば自殺という生死の二者択一を迫られる。

 

自他を否定して自他に非現実的な完璧主義を求める強迫性人格障害の進化系が
自分のみが完璧だとする自己愛性人格障害。
それも非現実的すぎるので破綻して現実と妄想のグレーになる境界性人格障害。
それも破綻して非現実的な妄想だけの精神病へ至る。
一人でやる場合もあれば、世代をまたぐ場合もある

幼稚園の遠足バスの帰りにマキビシを仕掛けよう

シャーデンフロイデ(他人の不幸を喜ぶ心理)も極まると
「幼稚園の遠足バスの帰りにマキビシを仕掛けよう」
「受験生の乗る電車を当日止めよう」とか。

「遠足で無事に帰ってきて笑顔になることは許さん」
「受験で苦しむことが重要で、試験終了して合格するのは許さん」
徹底して他人の幸福を潰す。

小学生の遠足の帰り道にマキビシを撒いたり
受験当日朝に送迎を中止したり
苦労がゴールして実ってはいけない。
自分より苦痛を与えることが、社会の常識(過度な一般化)だと
苦労(努力)と苦痛(理不尽)を勘違いしてるので、積極的にしょうもない苦痛を他人へ与えてくる。

大人で何歳になろうとも、幼児脳のまま、外界より負の自己承認欲求が勝ると「不幸のビーチフラッガー」が仕上がる。
その親の代から過干渉だった反動で、役割を継いでしまう。
必ず理不尽を与える相手は自分より弱者であるのがその証左なのだが。

病理的に特徴的なのは、対象が人間ではなく「モノに憑依している」
幼児で止まった脳ゆえ「自分の感情を乱した奴は許さん!みんなで叩こう!あいつが悪い!」と発想するので、
本人を良くしたいわけではなく、自分の幼稚な感情を満たすことが最優先になってしまう。

「モノに憑依する」現象

比較的に高齢者に多くなる「モノに憑依する」現象は、どうしても知能低下により、犬が電信柱におしっこかけてマーキングするように
他人が触ると「私のナワバリなのに荒らしやがって」とやるのと同じ。
電子レンジや洗濯機や風呂など他人も使う「共有物」を占有する。これで家庭内や近隣住民が困る。

過保護を口実にした過干渉の家庭でも、相手の良心と罪悪感を利用するので、主体が人間ではなく「物」に憑依する。
トイレや冷蔵庫や電子レンジや洗濯機など家具と加害者が一体化する。
「お前はトイレを裏切った、電子レンジを使って悪いと思わないのか?」みたいな奇妙な言い草になる。

高齢になると「モノに憑依する」現象が起こる。風呂や冷蔵庫や電子レンジなど。共有物や公共物なのに自分を憑依させて「ワシの許可取れ」と他人を支配しようとする。
家の中だけでなく、道路に勝手に三角コーンを置き、自分を憑依させて、動かした他人を「ワシの許可とれ」と操作するおじいさんもいる

例えば、自動車で事故が起こったら普通は運転手の心配を第一にするが
自動車の損害の話しかしない。自己愛は物に憑依する。
病床の怪我人に対して「お前は天下のトヨタ車で事故して日本国に申し訳ないと思わないのか?」などと責め立てる
こうやって子が育つと自殺するか、引きこもるか、殺人犯になる

神経症の家庭に特徴的。行動操作するために「権威」を盾に罪悪感を植え付ける。共有物に自己愛を憑依させ独占物とする
「日立の冷蔵庫、パナソニックの洗濯機、リクシルのトイレ、トヨタ車を使って申し訳ないと思わないのか?壊れたらどう謝罪する?」と人に目が向かず、姑息な自己承認欲求第一になる

高齢者ドライバーが小学生の列に突っ込んだりする通称プリウスミサイルが起こると、 問題の焦点は普通は「高齢者運転は危ないね。被害者は大丈夫かな?」だが
神経症者だと権威の自己承認欲求が先立つので「プリウスを侮辱するな!説明しよう!トヨタの素晴らしい技術を!」と意味不明な会話になる。

 

強迫性や境界性の人が
「本当は自分が一番かまってほしいのに」が前提にあるのに
「献身はすごい」と評価を得るために、
憎しみの歯ぎしりしながら献身すると
自虐的(自己犠牲ではない)な破滅行動をする。

 

私は「不幸のビーチフラッガー」と呼んでいるが、
不幸の結論へ発想して誘導する速度、
不幸な事象にヘッドスライディングしてしゃぶりつきに行く速度が速すぎる。

シャーデンフロイデ心理と不幸ホメオタシス。

なぜ真逆の幸福にそのパワーを使えないのかと不思議に思う。

 

 

比較的に高齢者に多くなる「モノに憑依する」現象は、どうしても知能低下により、犬が電信柱におしっこかけてマーキングするように
他人が触ると「私のナワバリなのに荒らしやがって」とやるのと同じ。
電子レンジや洗濯機や風呂など他人も使う「共有物」を占有する。これで家庭内や近隣住民が困る。

 

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