「官と民」
「公と私」
この区別が日本人についてない上に
乗り物事故の「自賠責」のような、割合で見る「科学的思考法」が乗っかってないので
問題を等価に見てしまったり、二分法思考の二項対立で感情に流されるのである。
家庭や学校や職場で問題児扱いされる「あーあ、今日は何か気分悪いなー。よし!今日はアイツのせいにしていびろう!」という「悪いことする私かまってちゃん」5歳児で脳が止まった気分屋。
育ちの悪環境と知能指数の低さだが、そう思いたくないので擁護してしまい更に環境悪化させる従順な愚者との葛藤
例外なくランダムに潜む彼らによってパワハラ等のハラスメントが作り出される。 これを防ぐにはできるだけ小集団に属するか、徹底的に監視カメラ録画や録音をして即警察へ通報する大人の対応が必要になる。 それなしに日本の「空気」に投げられると自賠責割合0:10でも6:4の「甘え」両成敗されてしまう
官と民、公金と私金の区別がついてないと、官が民へ規制や増税したり、公金で不正した時、民の論理でやってしまって本質を取り間違えます。
官と民は、常に「民は何もしてないのに官がやってきた」0:10なのです。
それを自動車事故の自賠責のように5:5でなーなーに解釈したり、10:0にはなりません。
理性合理的・科学的思考法は「切り分ける」「天秤(てんびん)で測る」ことです。
切り分けて、天秤に乗せます。
切った残りは存在しないとか、少ない方は存在しないという意味ではないのです。大きければ勝ちで善だと勘違いしてはいけません。
自然科学・社会科学、民主主義も全て同じです。
身近な例えでは「自動車保険の自賠責」があります。
例えば、交通事故で「6:4の割合で相手に損害」など。
あれが裁判と同じ。科学と同じ。民主主義と同じです。
停車していたか、赤信号だったか等、分けていって
天秤にかけて重さを測ります。
少ない方は存在しない、善悪という意味ではないです。
「官と公」の行政批判は三権分立の世論で最大に無害で合法なのに、
なぜか上記の無害な合法行為する人を叩いて
「民と私」の名誉毀損や誹謗中傷の有害な違法する人が多い。
攻撃ベクトルが逆で、リソースもリスクが高くて生産性がない。