バカではあるがクズではない~弱者を思いやることができるか~

心理学・精神医学

バカとクズは少し違います。

見分け方は簡単です。
「弱者を思いやることができるかどうか」です。

バカは自覚がありませんが、クズは自覚しながらやっています。

自分の思い込みを相手に当てはめようとする

幼児的な人は「自分の脳内のイメージに周りを合わせよう」とします。

その最大の弱点として、
「行動」だけを合わせてしまうので「動機」を見ることができないのです。

例えば
不登校の子がいたらクラスで寄せ書きを書いて送ってしまう。
なぜ来なくなったのか?
その理由を考えられない。
なぜ?
という疑問を持って考える習慣がないからです。

「私が正しい」の一点張りで生きてきたからです。

偶然体調が悪かっただけかもしれない・・。
家庭の言えないような事情があったのかもしれない・・。


そんなことは露(つゆ)ほども考えない。
考えないのではない。
考えるほどの頭すら持ったこともない。
その考え方に脳みそに血を回したことも、生まれてこの方ないのです。

無理矢理に質問することを強要する教師の事例

「休む生徒が全体を逸脱している」と「休む生徒は悪意を持っている」としか考えられる力を持っていないので、恩着せがましく、同情がましく、寄せ書きで罪悪感を植え付けようとするのです。

例えば
昔、「授業後は先生に質問しに来るのが当たり前」と言い出した教師がいました。
そのため授業後に生徒が質問を考えて教壇に長蛇の列を作らなくてはなりませんでした。
「センセイ、シツモンガ、アリマス」と生徒はロボットのように言わなくてはならなかったのです。

教師は「よーし、それでいい」とやっているわけですが、これも「行動」だけ見て「動機」を見ていない良い例です。

誰も先生に質問なんかしたくもなく、別にないのに、教師の「質問があるのが当たり前だ」という先行するイメージ像に周りが合わせているのです。
中学生の時の私はあまりの滑稽無糖さと教師の頭の悪さに絶望を超えて落胆しました。
教師が「ばぶー、ばぶー、ママー、ミルクちょーだい、うえーん」と、生徒に欲求している姿にしか見えませんでした。

バカではあるがクズではない

彼・彼女らはバカなだけなのです。

無自覚なだけなのです。

とはいえ周りは許さなくても同情しなくてもいいです。

「気持ちは分かる」
「やりたいことは分かる」
「共感はできる」

百歩譲って彼・彼女らの行動の動機の気持ちを共感することはできます。

しかし、その行動を「支持」しなくてもいいです。

この姿勢が大切です。

共感と支持は違う

「共感」と「支持」は違います。

殺人や自殺の動機で「共感」はできても「支持」はできないのと同じように、支持はできなくても共感できることはたくさんあります。

共感さえできないのは、クズのやることです。

分かっているので率先して積極的にいじめにかかるクズ

本物の「クズ」とはどういう行動の人のことでしょうか。

こちらはアスペルガーよりは自己愛性人格障害や境界性人格障害に多く表出します。

他者軽視(仮想的有能感)が先行してしまうのです。

クズの人は分かっていて、まず誹謗中傷・嘲笑に入ります。

俗に言う「弱い者いじめ」です。

「あっこいつ弱そうだ、早速いじめてやろう」と血祭りにあげにきます。

クズな男やクズな女の見分け方

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