心の帰属先を権威にしても通用しない理由

人間は誰しも自分の心の帰属先を持っていて、それが不変的に近いもので、複数であればあるほどリスク分散で潰しも効くので心理的に健康になれるが、
自身が共感されないゆえの自己肯定感の低さを補うため、どこに理想を感じて権威的な存在として認識するか、の線引きがどこにあるのかが気になる。

「なぜこれが起こったのだろう?」がわからない

心理的に健康な人だと客観的に懐疑的に理性で分析できるので「なぜこれが起こったのだろう?」から入るが
精神病理で自己愛性の権威追従バイアスがかかると、なぜか「その会社や人や技術はすごいんだから文句言うな」「私はすでに知っていましたよ」という、自己中心性から脱却できてない防衛が起こる

例えば、ジャニーズ性加害問題や、安倍派の裏金作り特捜や、ビックモーターやダイハツ不正や、高島屋ケーキ破壊など
主語がそれなりにネームバリューがあって、やってることもフォローする要素など皆無かつ自分とも関係ない事が多いはずだが、
なぜか「権威だから逆らうな」と反応してしまう人がいる。

察するに、心のポートフォリオが、ジャニーズや安倍派やダイハツや高島屋など権威的なブランド帰属先で構成されていて、それが棄損された現実を享受できずスイッチングもできず認知的不協和を起こして否定するのだろうが、
そんな外側に自身の帰属意識を持ってしまった弱さ

下に対するホワイト化が、上に対するホワイト化にもなっている

昨今の時代の潮流として、
下に対するホワイト化で「ナイナイ」と臭いものにフタして見ないようにしてたパターンが
上に対するホワイト化も求める革命家により容易に暴かれてしまい「権威は問題ない」「権威には文句言うな」「ナイナイ」の古いパターンが通用しなくなってる。

大体「公金」(税金)で起こる問題のほうが1000倍ヤバいのに、
なぜかそちらは問題視せずに、民間企業の問題は叩きまくるという
「公」とその界隈は権威にして叩かず「私」は権威にせず叩く、変な線引きをしている人もいる。現実的ではないので予測を外す。

自己の心理を社会承認欲求を満たす過程で、主張を共有共感可能な状態に社会化する作業は避けては通れないが、
心理を思想へ上げる(自分と近いものを、他人の遠いものと整合する)時、
思想が自己の実体験と結びついてないと、雲を掴むような、理想だけで他人の思想に操られてる弱い人になる。

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