カウンセラー側からすると、話を聴いて楽になったみたいなキラキラ系な感想はもう失敗してて、 クライエントの嫌な部分を悪霊のように引き受けて憑依させ、自己内観を遠回しに促しながら浄霊するような気分なので、お互い拒絶反応で嘔吐したくなるくらいが、毒に対する薬として効いてると感じる。
心理師仲間とよく話すのが、クライエントの5つほどある心理パラメータがイメージされ、本来は充足して最低限の安定しているはずが、 欠けてる部分、つまり抑圧している部分を観ると「幼少期の自分が泣いている」それを本人は見ないように隠している。この古傷をゆっくりと剥がして自覚させる慎重さ。
心理構造を統計でマッピングした時に「幼少期で止まって泣いてる」パラメータの部分があるので、そこを「本人が直視して受容」しない限りは、また同じことを再現的に繰り返すので何の解決にもならない。本人が見ないか、忘れるか、回避するかして向き合わない。
カウンセラーがクライエントに「関わろう」とする時に凄まじいエネルギーを使う。 感覚的に他人を自分の中に入れて悪霊浄霊するような。何段階も潜水する。 相互関係理解が進んで、転移も心理的逆転もしてない前提で。 ニュアンスで伝わりにくいが、対話で深く関われるほどの事例は少ない。
これは会話できるということは言語化されているので整理が可能だから。観測されれば操作できる。 根底の所は言語表現できない言語間のスリットに「幽霊」の非言語として存在している。トラウマ。 それを見て見ぬふり、自覚さえしてもいない。
心理トラウマ下の「自覚のない」「目に見えない」「見たくもない」情報へアクセスするのは「気持ちが悪い」としか表現しようがないのは言語化作業を怠るためだが、言語化できれば実態として観察操作可能になるので、そこまでは本当に「気持ちが悪い」
「短所を長所でカバーしよう」的なのはコーチングであって、カウンセリングでは短所と「本人が感じるもの」が「いつどこでどのように埋め込まれたか?」を傾聴して追求しないと根治にはならない。 がカウンセラーとクライエントが事なかれ主義のお互いキラキラ系だとその中核の話題を避けてしまう。
心理士同士の会話でトラウマえぐって嘔吐するほどしんどいけど回復後に心が強くなった感じがするやつ。 心理柔道の受け身練習。単に罵声や攻撃を我慢して耐えて強くなったというニセの耐久力ではなく、 なぜそれがつらいのかと徹底的に考えてメンタルをマイニングして自己理解する本物の耐久力の違い。
臨床心理士でも心理学者でも優れた人の違いは自己内観できているかどうか。 例えば、嫌な出来事があったら、なぜ嫌なのか、自分の過去の嫌な体験を直視して客観的に分析して解釈できているか。 この作業は嘔吐するほど苦しい。周りにそれを受容できる人がいないと、抑圧だけになって病んでしまう。