なぜか私の周辺で「なぜ読者モデルとコスプレイヤーは性格が悪いのか?」という話がよく飛び交うので書きます。
この2つに限定するのも偏見ですが、芸能関係すべてに言えることかとは思います。
ただ少し状況が異なります。
目的が自己中心的に寄りすぎている
テレビの芸能人と何が違うかといえば、「目的が自己中心的に寄りすぎている」ということです。
その目的は「自分が一番かわいい、すごい」「誰よりも目立ちたい」という幼児的万能感です。無自覚にこれがあります。
このために「お金を払ってでも自分を撮らせる」「自分を世間に認めさせよう」とするのです。
カメラマンが撮りにくるというのではなく、自分でお金を払ってカメラマンを呼び、スタジオにお金を払って自分を撮らせているのが実情です。
利他的な動機が何一つない
思考回路としてはこうです。
まず自分がすごいという理想像を立てます。(そうでなければ他人に自分を魅せるという行動は取りません)
次にその理想像を信奉させるために自分がそれになりきります。
それを相手に認めさせようとします。
一見してみると誰しもがやっていそうなことで、自己肯定感を持つことは大切なことです。
しかし最大の問題は、どこにも「誰かのためになる」という利他的な発想がどこにもないのです。
基本的には「自分が一番かわいい、すごい」「誰よりも目立ちたい」という前提があります。
それを共感して支えてくれる仲間も側に置きたいでしょう。
逆にそれしかないので、それを信奉しない者は徹底的に攻撃的になって嫌うはずです。
いずれにしても、「誰かを喜ばせたい」のではなく、「自分に注目してもらいたい」のです。
自分の理想が先行しすぎて「わがままな奴だ」とトラブルに
トラブルが起きるのは、
自分の理想>お金
になった瞬間です。
多くの芸能人は、インタビューなどで建前上は「理想の自分を目指すこと」と綺麗事を言いますが、
実際には
自分の理想<お金
です。
お金という目的があって、自分を売っている場合が多いです。
「自分が威張りたい」「自分を認めて欲しい」という自己承認欲求と自己顕示欲が前提です。
これはこれで幼児的なものですが、
「自分が一番かわいい、すごい」「誰よりも目立ちたい」という幼児的万能感の上に乗っかっています。
ただその幼児的な欲求を表立って出すと「自分が威張りたい」「自分を認めてほしい」が認めてもらえないので、抑圧しているだけです。
どんぐりの背比べにしか過ぎませんが、
読者モデルやコスプレイヤーが「ほれっありのままの私を食えっ!」と「採れたばかりの泥付き大根を無理やり他人に食わす」のであれば、
事務所に所属してダンスや演技で鍛え上げた芸能人は「採れたばかりの泥付き大根の泥だけは洗ってくれている」のです。
「少しマシ」なのです。
大根を洗って、切って、味付けして、料理して他人に出すのが社会性であり、万民に受け入れられる秘訣なのです。
しかし彼・彼女たちは「自分を見て」が大前提にあるのでそれはできないのです。
どれだけお金を貢いでも、「理想の自分の方が大事」が先行するので相手に対する裏切りを発生させます。
動機から幼児的なものから始まっているので、自己愛の肥大化が自己愛性パーソナリティ障害や境界性パーソナリティ障害へと移行して、最後はわがままし放題で傍若無人に振る舞い自己愛インフレーションを起こし、人間不信となって他者を攻撃し、人間関係すべてにおいて破綻していくのです。
「自分の理想」を目指すあまり、自己中心的かつ非現実的な夢物語すぎて周りを呆れさせ、人が嫌って離れていきます。
他人をあごで使って威張れる「自分の理想」ではなく、自分も努力して「理想の自分」を目指すようにして頂きたいものです。
何をやっているかで性格と生育歴が分かる
コスプレイヤーだと女装や男装をする人がいます。
「異性へのなりきり」です。
同性愛の傾向として、幼少期から「異性の親からの虐待」(それに近い行為)を受けているのが共通体験です。
男なら母親、女なら父親。
異性への魅力や興味がないので同性へ向かいます。
その趣向を自分へ向かせるか、他人へ向かせるかの違いだけです。
雇う側のことを一切考えてない
私の知人も読者モデルやコスプレイヤーなら多くいます。
もちろん私も趣味に理解はありますし、同じ趣味でお話ができるということはあります。
マイナーな雑誌でコソコソやっていますが、「まぁ私可愛いから当たり前よね」と性格的に傲慢、他人には命令口調で自分勝手すぎて「これは伸びないわ…」と率直に感じました。
ちょっと読モしたくらいで王様気分になっていたら、自分がプロデューサーだったらそんなもの採用しないのです。
テレビが創価学会員ばかりなのも「自分がプロデューサーだったら」と考えると分かります。
バックで母体がない人なんて、何やるか分からないので危なっかしくて採用したくないです。
百歩譲って総務省や広告代理店(新聞・テレビ)でのコネ芸能人を除外したとしても、単なる自己顕示欲の強い自己愛が釣れてしまうからです。
NAVERに読者モデルに関して書いてありました。
大事なのは、
①明るく楽観的
②仕事がない時期も楽しく幸せに過ごせる
③自分の夢の為に努力できる
④自分をキチンともっている
⑤客観的に自分が見れる
⑥協調性がある
こんなに安いの? 読モ・女性モデル、理想と現実 – NAVERまとめ https://t.co/ySA6el4fVi
特に注目したいのは、③~⑥です。
多くの自己愛は自己愛が肥大しているので、自分は努力しようとしません。「自分は世界一すげー」の海に一人で溺れて王様気分なのです。
よって自己がどんどん現実と離れて乖離していきます。すると客観的にものを見られなくなり、協調性も生活習慣や社会性もなくなります。
騙されて捨てられるまでがワンセンテンスの人生
雇う側も悪い人であれば、こんな知能の低い人を騙すために使うのに容易いです。
自己愛はおだてれば付け上がるので、そこを利用します。
元々芸能人、人に自分を魅せて売るという職業は「奴隷市場」が原点にあります。
ジャニーズもAKBもテレビで魅せているのは「すでに使い古した中古品」です。
誰が使ったかというと、お金持ちや大手プロダクションの関連の要人です。「使い古した」ので「庶民どもに”お下がり”を見せてやろう」としているだけです。
水戸黄門がスポンサーのPanasonicの松下幸之助を喜ばせるためだけに作られた番組だったように、テレビでお上の人に見せ、お上の人が「おっ、この娘いいな」と言ったら、その夜にピンポーンとホテルのチャイムを押しに来てくれる・・今でもそんな世界なのです。
そんな「柵の中の羊」たちが群がる芸能系は、自己顕示欲の強い自己愛の男に自己愛の女(逆パターンも)が釣られて、お互い相手を自分のアクセサリーの一部として誇示しながら、自己愛の地獄の二重奏(ナルシスト・デュエット)の不協和音を奏でながら破綻していくのが典型でしかないのです。
「自分の理想」を馬の頭に人参をつけたように追いかけるのではなく、足をつけて「理想の自分」を追い求めていくところから始めていくことが大切です。