虐待死亡事件が起こると、「国は何をやってるんだ!」「児童相談所を増やせ!」という人がいます。
私はこういう人が根本的に虐待を引き起こしていると思っています。
どういうことかというと、
「で、あなたは何をやっていましたか?」
ということなのです。
学校で自分の子どもの成績が悪いので「学校は何をやっているんだ!」「授業時間を増やせ!」と言っているようなものです。
本心を言えば、「自分は関係ない。指示だけだして他人を操作したい。そして他人のせいにしたい。」という幼児性が丸見えだからです。
建前の綺麗事を言っているだけでやっていることは、子どもを勉強漬けにして自分から引き離す育児放棄(ネグレクト)です。
虐待・殺人する人には厳罰をという間違い
「虐待する人には厳罰を!死刑にすればいい!」という極論を言う人もいますが、これも間違いです。
元々、万引きなど小さなものから、強盗や虐待や殺人する人というのは、「死刑になりたい」という思いがあります。
バイクで爆走して峠のコーナーギリギリを攻めるような「死に対するスリル」を味わっているからこそ、虐待や殺人をするのです。
「死」のギリギリを味合わなければならないほど、「生」への執着が薄いのです。
これはリストカットなどの自傷行為・自殺行為と全く同じ心理です。
ストレスのガス袋が外へ爆発するか、内にしぼむかの違いだけです。
デスノートの夜神月くんのように「人を殺したら全員死刑にすればいい」を実践すると、悪が淘汰されるのではなく、むしろ冤罪が横行して悪が栄えてしまいます。
「人を殺したら全員死刑にすればいい」を実践するとどうなるか?
児童相談所の一時保護所を増やしても虐待は減らない
虐待死亡を受けて児童相談所の一時保護所を増やしても虐待は減りません。
例えが悪いですが、ネコを捨てる人が多いので、ネコを捨てるダンボールを増やしても、ネコを捨てる人は減らないのです。
むしろネコを捨てる用のダンボール箱を増やすというのは「もっと捨てネコを増やして下さい」とすら聞こえます。
根本解決になりません。
「最貧困女子」にも書かれている通り、幼少期の放課後保育という親から離別された育児放棄のような寂しい経験が苗床となって、負のループをしていくのです。
虐待された人というのは、自分もされた経験があります。それしか他人との関わり合い方を知らないのです。
よって溜まったストレスを外に「再現」しようとしてきます。
児童相談所を増やすということは、そういう人たちを増やすことになるので逆効果です。
虐待された児童の二次的トラウマ~児童相談所・一時保護所の現状~
児童相談所は上は公務員が天下ってきているだけで、社会福祉も医療も何の知識もありません。
昔ながらの根性努力論の体育会系の公務員が抑えつけています。
スタッフ側には心理士や保育士など専門技術の高い人がいますが、上の公務員がそれ以下なのです。
しかもその公務員が税金で生きているので、「児童相談所を増やそう!」なんて言ったときには
「え!給料増やしてくれるの?ラッキー!虐待最高!俺の給料上がった!他人の不幸は蜜の味!」
というだけで、何の解決にもならないのです。
社会的に臭いものにフタしただけです。
更に公務員の給料の上昇を言えば、増税を唱えたあなたの給料だけでなく国民全員の給料が下がります。
給料が減ると、虐待や犯罪との相関関係が高くなるので、余計に虐待が増えるという負のループになります。
どうすればいいのか?
本来、あなたがすべきことは増税で児童相談所を増やすことではなく、あなたのような虐待された被害者を想うような人がたくさん出てきてくれることです。
虐待されている子は、側に一人でも救ってくれる、話せる相手がいれば安心します。
少しの接触だけでも人生に大きな影響を与える可能性もあります。
まず身近にいる人から関わり合いをもってください。
その「姿勢」が伝染して、親御さんが救われ、自然と虐待が少なくなっていくのが本来の人間の地域社会のあり方なのです。