2019年8月23日、アメリカのコーク兄弟の三男、デヴィッド・コーク(David-Koch)が亡くなりました。79歳でした。

純資産約590億ドルとされるコーク氏は、ブルームバーグ・ビリオネア指数では兄のチャールズ・コーク氏と並び世界7位の富豪。資産の多くは米カンザス州を本拠とする複合企業コーク・インダストリーズの42%株が占める。同社は年間売上高が約1100億ドルで、米国最大級の非上場企業に数えられる

コーク兄弟とは、アメリカで最大級の大富豪です。
アメリカの裏の支配者の一人です。


コーク兄弟とは?

アメリカの富豪と言うとマイクロソフトのビル・ゲイツや、投資家ウォーレン・バフェット、アマゾンのベソフがイメージされます。それぞれ11兆円規模です。
これはフォーブス誌に掲載される納税する「個人」です。

「財団」などの機関は含まれていません。
アメリカだと石油財閥のロックフェラー財団が圧倒的に力を持っていました。
会長兼最高経営責任者(CEO)だったデイヴィッド・ロックフェラー(David Rockefeller)は2017年に亡くなりました。
それ以降は、ゴールドマン・サックスのオーナーのジョン・デビッドソン・ロックフェラー4世(通称「ジェイ・ロックフェラー」、デビッドの甥に当る)にアメリカの主導権は変わりました。

これらはアメリカで「上場」している企業です。

しかしコーク兄弟の「コーク・インダストリーズ」は、非上場で14兆円弱の規模があります。

彼らが経営しているのは、非上場の大企業「コーク・インダストリーズ」。1940年創業で、石油、化学、日用品の総合企業だ。日本ではあまりなじみはないかもしれないが、その規模は、非上場企業では全米第2位の規模を誇る。
2013年の売り上げがグループ全体で1150億ドル(約13兆8000億円)もあり、従業員数は約10万人。コーク兄弟の資産は、それぞれ約220億ドル(約2兆6000億円)と言われている。彼らの資産の過半はコーク・インダストリーズの株式

・富裕層のゲイツやべゾフが11兆円。

(余談)
・ちなみに超富裕層のロスチャイルドが総資産1京円です。
・デリバティブ市場が100京円だから、ゲイツが1000人いたら超富裕層に敵う程度。
・ちなみに、日本は1000兆円の国債があります。
・日本の持っている1000兆円の国債予算は、ゲイツ10人分、ベゾフ10人分。Amazon10個分あります。日本人全員にお金を配っても有り余るほどのお金が日本にはあります。さらなる増税や規制の必要性は全くありません。

ゲイツやソロスやバフェットは富裕層だがまだ上の「超富裕層」がいる

14兆円規模のコーク一族。

主にコーク一族の次男チャールズと三男デイヴィッド。彼らを「コーク兄弟」と呼びます。

(長兄にフレデリック、四男にビルもいますがここでは触れません)

(参考文献)

チャールズとデイヴィッドは真逆の性格

今回亡くなった三男のデイヴィッド・コークは徹底的に慈善事業家でした。

きっかけとして本人が若くして前立腺がんを患って余命宣告されていたので、惜しみなく財産を寄付していくことに徹していました。

ニューヨークのピレスビテリア病院、救急救命センターのデヴィッド・H・コーク・センター、母校MITにも寄付してがん総合研究センターと託児所を作り、自分の前立腺がんの治療をしたM・D・アンダーソンがんセンター、泌尿器系がん応用研究センターを創設。
その他、リンカーンセンター劇場、メトロポリタン美術館、スミソニアン博物館にも寄付をして名前を冠して評されました。

基本的にはリバータリアンは共和党支持で、デヴィッドも強烈なリバータリアンではありますが、こういっいた慈善事業の行動からニューヨークのリベラル層からも熱烈な支持がありました。


家畜小屋で育つ

コーク家は、元々農場をやっていてお金持ちな家系です。

しかしコーク兄弟の父フレッド・コークは厳格でした。
田舎の秀才であり、キリスト教プロテスタンティズムのカルヴァン派のように、徹底的な質素倹約をしました。
資本主義の根本であるプロテスタンティズムの精神の基本は「お金持ちになるためには清貧すること。質素倹約すること。」です。
ソ連との対立が激しかった時代、アメリカで特にその精神は重んじられていました。

コーク家は金持ちの集落にいましたがフレッドは子どもたちには裕福にさせず、家畜小屋で貧しい暮らしをさせました。
お金持ちであることも黙っていました。

ティーパーティー運動の源流

大人になったコーク兄弟は、個人と企業の最大の自由化と、そうした自由を守るだけの機能を持つ最小国家(政府)を主張する哲学であるリバータリアニズムのシンクタンクである「ケイトー研究所」を創設し、資金を投入してきました。

また保守系シンクタンクや、政治思想と現実政治をつなげるパトロンとして機能していきました。

2012年のアメリカ大統領線において、民主党バラク・オバマ大統領に勝つべく、多額の資金援助とティーパーティー運動(税金をかけるな運動)を作り出して支援してきました。


リバータリアンのシンクタンク・ケイトー研究所を創設

コーク兄弟は、1977年にリバータリアンのシンクタンクのケイトー研究所が創設しました。
指導者はマレー・ロスバード。財政はチャールズ・コークでした。

1960年~1970年頃にかけてリバータリアンは盛り上がっていきました。
しかしリバータリアンは「小さな政府を目指すのに党(大きくなる)にしていいのか」という矛盾を抱えたままリバタリアン党ができました。
その中で税金撤廃を取り下げたり、増税やむなしで妥協することが多々出てきて批難を浴び、その矛盾から内側から砕けていきました。

時を同じくしてケイトー研究所には、ロスバードやデヴィッド・ノーランがいましたが、次男のチャールズ・コークと対立しまくることになりました。

質素倹約のチャールズ・コーク

次男のチャールズ・コークはとても質素倹約家です。

貧しい人々に対する福祉を攻撃しておきながら、一方で自分たちへの福祉を求めるとは、まったくもって信頼を失う愚行な行為。あなたたちは金持ちだけの社会主義の実現を望んでいるのだと、言われても当然だ。
(「リバタリアン・レビュー」誌 1978年8月号「第二のアメリカ革命に向けてより」)

という言葉を残しています。

政府のすべてを嫌い、無政府主義者にも近かった。味方のティーパーティー運動者さえも信じていませんでした。

それくらい個人主義でした。


リバータリアン経営法とは?

次男チャールズ・コークはコーク社でリバータリアン思想の根本であるオーストリア学派経済学を突き詰めて、市場に基づく経営管理法(MBM)を生み出し「自由の科学」と名付けました。

意思決定機構を細分化して最も低いレベルでも意思決定できるようにしました。
社員の決定権を保証し、社員の資産管理を社員に委ねました。

地位や学歴も関係なく登用しました。差別が強いアメリカにおいて、自分の今までの冷遇を思い返して泣き出す人さえいました。

「自分がビシネスオーナーだったらどうするか」を常に考えさせて行動させ、給料の上限も撤廃して、インセンティヴ(目標を達成するための刺激)を出したら際限なくボーナスを与えるようにしました。

模範的な社員が出てきて、活気に溢れました。この経営方式でコーク社を巨大にさせていきました。

失敗したコーク社のリバータリアン式経営法

ただ最終的にはこれから弱肉強食が起こって社員同士でお互いに潰し合うことになりました。

チャールズは売上とコストを相殺して純益として数字で評価をしていたことが原因の一つです。
会計士でもこれは測定不能です。

なぜかというと例えば、誰かのケガをしたとして、その人を労ればその時間で生産性が奪われてしまいます。時間コストと生産性からの純粋利益を考えれば、ケガした人は自己責任だと無視しなくてはなりません。
実は救っていたら逆に利益が上がったかもしれません。しかし他人を救って生産性が上がったかどうかは分かりません。測定はできません。

特にパイプラインなど「安全」を重視する部署では、コストをかければ安全にはなりますが、コストは悪なのです。削減しなければなりません。

安全に気を使うような社員は「非生産的」と低評価されてしまいます。
会社のインフラ(基盤)が育ちませんでした。

しかも誰しもが給料を上げたいので、他人の足を引っ張り合う結果になりました。

鉛筆の使用料を分単位で計算して、社員に請求しだすような行為が出てきました。

人間関係も希薄になり、コーク社はお金にゆとりもあるのに、時間節約から社員食堂でトレイで質素な食品を黙って食べました。
外から来た人からは「新興宗教団体のようだった」とも揶揄されました。

最終的には解雇されるか法令遵守するかという、死ぬかゾンビのまま働くかというブラック企業と化しました。
シカゴ大学のMBAすらも生き残れないような厳しい会社になりました。

チャールズ・コークの2007年に成功の科学という著書に詳しく書かれています。


2009年から表舞台に

この恐ろしいブラック企業コーク社のチャールズ・コーク皇帝に唯一意見できる先生である人物にリチャード・フィンクがいます。

2007年に民主党のオバマ政権が誕生してから、アメリカ人の納税者のお金で公的資金をジェネラルモーターズに投入して国有化されました。

アメリカがケインズ主義経済となって、オーストリア学経済学は消えたようになったのです。

これにフィンクは危機感をつのらせて、コーク一族と一緒にティーパーティー運動や共和党への資金援助など行動をしました。
コーク社は石油事業も取り扱っていたので、オバマ政権のいう環境税をかけられては事業が潰れると感じていたためです。

この時期に表立って目立つ行動をとったので、アメリカ人でさえもコーク一族という「隠された支配者」がいることに気付きました。

2012年に大敗して消える

コーク兄弟は2012年のアメリカ大統領選挙で共和党のミット・ロムニー候補を支援しました。
しかし結果として民主党のオバマ政権陣営に負けました。
2009年から支援はしてきたのですが、雑な支援に終わりました。

これはケイトー研究所での内輪もめが原因にありました。
コーク兄弟は2011年にケイトー研究所でエド・クライン局長とデヴィッド・ボウツと株の配分でもめました。
主にチャールズ・コークとエド・クライン局長で喧嘩が起こり、最終的にチャールズが去り、理事のデヴィッド・コークがケイトー研究所の株主になって和解しました。

この時期にケイトー研究所での内輪もめがなければ、オバマ政権に戦略的に勝っていたとも言われています。

これ以来、表舞台から姿を消して今に至ります。

(参考文献)


2019年8月23日はTwitterで批判と追悼の荒らし

2019年8月22日のデヴィッド・コークの死で、翌日からTwitterの世界トレンド一位に「デヴィッド・コーク」の名前が上がりました。

私もTwitterをリアルタイムで見ていましたが、追悼よりも死んだことを喜ぶツイートが多く見受けました。

リベラルの民主党陣営からは徹底して嫌われており、コンサバティブの共和党陣営からも嫌われていました。どちらにも属さないリバータリアンの宿命です。

ただ共和党のリバータリアンであるロン・ポール下院議員の息子、ランド・ポールは下のように追悼のツイートをしていました。

デヴィッド・コークは慈善事業家とはいえ、基本はリバータリアンなので右からも左からも嫌われるのは必定です。
しかし共和党の議員からは好意的に見られていました。

弱者を叩いているうちはリバータリアンとは呼べない

これでコーク家は厳格なチャールズ皇帝の一強になりました。

質素倹約で厳格なチャールズですが、

貧しい人々に対する福祉を攻撃しておきながら、一方で自分たちへの福祉を求めるとは、まったくもって信頼を失う愚行な行為。あなたたちは金持ちだけの社会主義の実現を望んでいるのだと、言われても当然だ。
(「リバタリアン・レビュー」誌 1978年8月号「第二のアメリカ革命に向けてより」)

私はチャールズ・コークのこの言葉に真理を感じます。

福祉を叩き、弱者を叩いていれさえすれば、「私は独立精神の強いリバータリアンである」と勘違いしている人が多々います。

国のやる福祉が悪い結果をもたらすのであって、民間の地域社会福祉としての地域推進装置が機能していればそれでいいのです。

福祉そのものは悪いものではなく、攻撃するのではなく「どうすればもっと良くなるだろうか?」と考えていくことが大切です。