経験ある家庭の人なら分かるだろうが
唐突な外部存在が、神のような上位人間として強烈な意思決定権を持って家庭内に現れ、崇める家族成員がその神の代弁者になるので、従わなくてはならない。
カルト宗教がこれ、本当にホラー。
なぜかその外部人間の承認欲求を満たすために全財産をみつごうとする
境界性の家庭だと、ある日突然、謎の人物が最優先タスクで、家庭上位の意思決定に登場する
BLEACHの月島さんみたいに「すべて月島さんのおかげ」「世間皆そう言ってる大恩人だよ!」と歴史修正が入る
「え?誰それ?」と聞いても「お前はふざけてる」と言われ「大恩人に全財産みつがなくちゃ!」となる
食事も排便も買物も「月島さんの許可を取ったのか!」「月島さんはそれを許さない!」と
神の代弁者の家族成員が言い出す。
タネ明かしすると、境界性の家族成員が幼稚に「他人を操作したい」ので、上位存在を後光暗示に権威的に使う。スタンド攻撃。
こうなるともう同じ住環境にいられなくなる。
学校や職場では急に月島さんが出てきても「あの人、変なこと言ってる」で「おかしさ」を仲間と共感されるが、
家庭内でやられると、長期慢性的に「おかしい」のだが、それを体験したことある人でないと「おかしさが分かってもらえない」ので話しても信じてもらえなかったたりする。この孤立的な苦しみ
本来は自分の意見なのに、依存の見捨てられ不安から他人に責任転嫁する。だから上位の他人を神にして代弁する。
当人は一人称を複数形にして「みんな、世間、常識」など過度の一般化で正当化してくるので、
「それ誰が言ってるの?」と聞いてみると良い。
見捨てられ不安の強い人だと、常に教祖様がいて、何するにしても「その人に怒られるからダメ」と禁止的に振る舞う。
一定の周期で、男だったり、病院長だったり、ガソリンスタンドの人だったり、入れ替わる。
買い物も食事もその人の許可が必要と言い出す。自分が意思決定の責任を持ちたくないので。
例えば「買い物するのにガソリンスタンドの人の許可が必要。勝手に買い物すると怒られる。」など歪んだ認知が起こる。
本人は過度の一般化で一人称を複数形にして「みんなやってる常識」というが、
「みんなって誰ですか?」と深掘りすると、ガソリンスタンドの人を教祖にして依存していたのが分かる
その教祖様が良心的な人であればまだしも、「自分がして傷つきたくない意思決定の時に、都合よく召喚して盾にする」という、卑怯さが滲み出る人物であり、本人は無自覚。
家庭に会社の上司が入り込んで意思決定を奪っていくので「え?お前、誰やねん?」となる。
生きづらい見捨てられ不安の家庭。
月島さんは
①どんな人なの?
→立派で、世間の常識で、みんなが信じてる大恩人
②従わないとどうなるの?
→怒り狂って石を投げてくる、怒り狂ってもう来るなと言う
①は人間なのに、②はサル。この矛盾。
正体は、①本人の理想、②幼児期のままの本人の現実。投影。
本来は自分の意見なのに、依存の見捨てられ不安から他人に責任転嫁する。だから上位の他人を神にして代弁する。
当人は一人称を複数形にして「みんな、世間、常識」など過度の一般化で正当化してくるので、
「それ誰が言ってるの?」と聞いてみると良い。
当人に「月島さんはどんな人か?」を聴き続けても無限武勇伝になるだけなので、
「月島さんに対してどう感じるか?」と外部のイマジナリーフレンドの内在化のように、内包統合しないといけない。
身近や本人の強烈な拝金物欲や唯物論の反動で、観念論的なカルト宗教世界へぶっ飛ぶ人が多い。