理不尽なのは「悪意を証明させよう」とする人

心理学・精神医学

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教育場面でとても教育とは呼べないほど明らかに理不尽な出来事に遭遇します。

それは「悪意を証明させよう」とする人のことです。

教育学部出身の私としても、
このような教師は「単に甘えているだけ」「未熟だ」とはっきりと言えます。

教育場面以外でも、親や会社の上司でも当てはまるはずです。

今回は例えとして、
A子さんは学校に遅刻してしまったとします。
教室に遅れて入って謝罪する場面を想定します。

A子「すみません。遅れました。」
先生「どうして遅れたの?」
A子「寝坊してしまって…」
先生「違うだろ」
A子「え?はい、申し訳ございません。以後、気を付けます。」
先生「違うだろ。わざとだろ。私を困らせるためにわざと遅刻したんだろ。」
A子「いえ違います。」
先生「ウソまでついてトンデモないやつだ。なんで平気でウソを付くんだ。」
A子「・・・」

このパターンの場合、A子さんは正直に答えているのに、先生は「わざとやったんだろ」という結論に誘導尋問しているわけです。

 

つまり「悪意を証明させたい」わけです。

先生はA子さんに対して
「はい。私は○○日前から遅刻する計画を立て、先生を困らせるために今日の朝、計画的に起床して、計画的に遅刻しました。」
・・というでっち上げたいわけです。そんなことは現実的に考えてもあり得ない話なのに、です。

しかしA子さんは清廉潔白に正直に答えているので、寝坊以外の遅刻の理由は何もありません。

A子さんは、正直に答えて理不尽に責め立てられた挙句、あらぬ冤罪まで掛けてこられているので、言い返せる言葉もなく泣き寝入りするしかありません。

あるいはここでアダル卜チルドレンのような「大人の顔色をうかがいすぎる子」ならば、
「はい。私に悪意があります。」と、自分を殺して、その場を収めようと先生の掛けてきた冤罪を受け入れてしまいます。

これは「自分は正直に答え」かつ「自分に嘘をつく」という、矛盾した強烈な「抑圧」が加えられるのでストレスが大きいです。あとになって爆発の反動も大きくなります。

先生にはA子さんを教育したいとか、反省させたいとか、そんな意図は微塵もありません。

表向きは「教育のため」とかキレイ事を言うかもしれませんが、そんなものはウソです。

「先生は私のことを思って・・」なんて思わなくていいです。詐欺師に服従するのと同じです。

先生がやりたいのは
「自分の優越性を誇示したい」
「自己顕示欲を満たしたい」
「見下して、陥れて、いじめてやる。」
「不幸にしてやる。さっさと死んでほしい。」
という、それだけです。

本当にそれだけです。

「その気持ちを汲み取れや」と、生徒に甘えているのです。

甘えの定義とは「相手の好意をアテにすること」なので、このパターンだと先生が甘えだのなんだのと叱責したとしても、甘えているのは先生の側になります。

そこまで未熟なのです。

そこまで先生の方が悪意に満ちているのです。

これは教育の問題でもなく、それ以前の先生の人間としての問題

「人格」の問題。「人格の未熟さ」なのです。

先生は「自分が気に食わないことはみんな悪なんだ」と5歳児程度で脳みそが止まってしまっているのです。
(これは例え話ではなく、本当に物理的に、脳の神経が停止しているのです。)

重度な神経症(不安障害)から人格障害圏で、このような「認知の歪み」が起こります。

自分が気に食わないもの「すべては悪」として見てしまうので、その結論を目指して、必死になるのです。

ここにもはっきりと

●二分法思考(自分以外は悪)
●演繹思考(最初から答えを決めてかかる)

という神経症・人格障害の特徴が現れています。

反省して、「今後は気をつける」とも言っているのにも関わらず、

「いや、過去に戻って反省しろ。」

・・といつまでもいつまでも、タイムマシンで過去を改変させよう、後悔させてやろうとします。

全く話が前に進まない、非建設的な欲求。

これも神経症患者の特徴の一つ、

 

「非現実的欲求」そのものです。

心理的に健康的な人ならば、本当のことを言って冤罪を掛けられたら

「いえ、私にそんな意図はありません。」
「先生は必死に私に悪意を証明させようとしていますが、私は事実を言っていますので、それ以上の先生の悪意に満ちた妄想は汲み取りかねます。」

とはっきりと言えます。

何事も「言い返せなかったこと」が最大のストレスになります。

例えここまで言い返せなかったとしても、他の先生でも友達でも親でもカウンセラーでも誰かにその出来事を話して、「先生のほうが絶対おかしい」という気持ちに共感してもらうことが大切になります。

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