現実の定義は個人によって異なりますが、嫌な人や出来事に立ち向かうことも、逃げることもまた現実です。
ただ逃げたとしてもそこに向き合わなければ逃避となるので、また同じ問題が再来します。
例えば、家族が嫌いすぎて、家出して自活して、会社で仕事に没頭して鬱になった人もいます。
会社に没頭することで現実逃避していたのです。
社会適応としては良いのかもしれないが、「家族が嫌い」だけで自分を内観して現実と向きあおうとはしなかったのです。
それゆえに強迫性・自己愛性のように自罰的か他罰的になり、人の心を置き去りに。妬み嫉みの修羅道へ墜ちたのです。
根底利他の対象愛の愛着形成がない人の典型です。