「自殺」と「殺人」は紙一重です。
簡単に言うと、「ストレスというガス袋」が、内側にしぼめば「自殺」。外側に破裂すれば「殺人」です。
このことは、「夜回り先生」こと「水谷修」氏が指摘していましたが、心理学の根本原理に合致した的確な例えだったと思います。
↑この講演DVDが実に良く、私自身も救われた以上に、事例的な心理学の勉強の導入にとても良いので自信をもってオススメします。
いやいや人間はそんな単純じゃない。もっと複雑な家庭事情や経済事情があって・・と思うかもしれません。
確かに過程(プロセス)まではその通りなのですが、実は人間は極限まで追い込まれた時は、もっと感情的で動物本能的な行動を取ります。
それが「生か、死か」「生きるか、死ぬか」という究極の選択です。
そのパワーの向かうベクトルの先が「自分が死ぬか」「相手を殺すか」です。
精神病と「二分法思考」は相関しているということはこちらの記事で書きました。
→ 2つだけの世界は精神病になる
ストレスに対して、自分が悪いと思って自分を責め、ガス袋を内側にしぼめれば、自殺。
ストレスに対して、相手が悪いと思って相手を攻撃して、ガス袋が外側に破裂すれば、殺人。
なぜこれが「紙一重(かみひとえ)」かと言うと、「ストレスを受けて」というスタートが同じだからです。
他人だろうが集団だろうが、必ず相手がいて「誰かからのストレスを受けて」いるのは共通です。
それを、自分が悪いと責めるのか(自虐的)、相手が悪いと責めるのか(他罰的)、この解釈の差です。
急に落ち込んだり、ハイテンションになったりを繰り返す「躁うつ病」「双極性」という精神病の症状があるように、この自虐と他罰は、簡単に入れ替わります。
急にストレスのガス袋がしぼんだり、急に破裂しそうになったりを繰り返すのです。
今現在でも日本の自殺者数は年間3万人います(警察庁統計調査)。
実際は自殺なのに、病死(心不全)や変死や行方不明など、世間体や生命保険(遺族がお金がもらえない)を気にして、医師が自殺と死亡診断しなかった潜在的な事例も含めれば、更に多くなるでしょう。
1955年-1964年や1980-1988年に「交通事故の死者数」が、『年間1万人』を越して「交通戦争」(※)と言われました。
(※)日清戦争での日本側の戦死者(2年間で1万7282人)を上回る勢いがあったため。
なのに1998年から今まで15年以上も毎年連続で『年間3万人』では「自殺戦争」です。異常事態だと思います。
こんなことやっているのは日本だけです。残りは規制だらけの共和国・旧社会主義国です。先進国のやることではありません。
対して、殺人は年間900件程度で、60%近くは親族間での殺人です。
重要犯罪(殺人、強盗、放火、強姦の凶悪犯に略取誘拐・人身売買、強制わいせつを加えたもの)を合わせても年間8700人程度。更に起訴(ほとんど有罪)されたのはうち30%程度です。
(警察庁犯罪件数統計)https://www.npa.go.jp/toukei/seianki/h24_hanzaizyousei.pdf
警察の認知件数は、そんなに悪くないことでも規制が厳しくなったので上がっていますが、それでも実際の犯罪率は、年々減少しています。
こうして比較すると、「自殺」の方が日本人に親和性が高い傾向があることが分かります。
なぜ自殺や殺人が起こるのかと言えば、「アノミー」(無秩序・無連帯)が起こるからです。特に日本ではアノミーから自殺へと移りやすいです。
これらの事態を防ぐには、アノミーを防ぐことと、ストレスのガス袋の縛り口を緩(ゆる)めて、ストレスを溜め込みにくい環境を作ることです。
関係性を保てばアノミーを防げます。すると同時にストレスも溜め込みにくくなります。
これに関してはまた記載します。