前回、自己愛的な神経症者の行動の特徴として、「自分を上げる分、他人を下げる」という傲慢に他者軽視する「自己中心性」について記載しました。
また、そのように他者を攻撃するような自己愛の強い人が極めて精神病理的であることも記載しました。
前日記:『その程度のこと知っていましたよ』は神経症患者の合言葉
今回は、自己愛的な神経症者の犠牲になっていじめられてしまう人たちについて書きます。
特にどういう人かというと「まじめで几帳面、責任感が強く他人に非常に気を遣い、頼まれたら嫌といえない」といった性格の持ち主です。
こういう性格傾向を、心理学では「メランコリー親和型」と言います。
過労したり、うつ病に最もなりやすいタイプです。
自己愛性人格の人は、こういう「やさしい人」を陥(おとしい)れようとします。
直接的な罵倒やわがままなら、まだ意思がはっきりしているので分かりやすいのですが、本人さえも気づきにくい悪質なやり方があります。
それがタイトルの通り、「やさしい人」を「悪人に仕立て上げる」というやり方です。
前述したように、自己愛神経症者は、自分を上げるために、他人を下げます。
そのために、他人の100コ良い部分があるうちの、1コでも悪い部分を必死にあら探しして否定します。
仮に悪い部分が見つからなかったとしても、適当に悪い部分を作り上げて批難してきます。
特に悪質なのが、「あの人はやる気が足らない」とか「あの人は責任感が足らない」とか「あの人は優しさが足らない」とか「あの人は頑張りが足らない」とか「感謝が足らない」という否定の仕方です。
やる気とか、責任とか、優しさとか、頑張りとか、感謝というのは、具体的な指標があるわけではないので誰でも当てはまってしまいます。
例えば、悪徳な新興宗教などで、「あなたは今悩んでいますね?」と言って、「あぁ、そうです。私は悩んでいます。すごいですね。何で分かるんですか。」と持っていく勧誘のやり口と似ています。
そもそもこの世で悩んでない人なんていないのに、誰にでも当てはまることを言って親和性を持たせようとするのです。
世間体を気にしすぎて、気を遣い過ぎている傾向のある、自己犠牲的なやさしい人である「メランコリー親和型」の人は、「やる気」とか「責任」とか「優しさ」とか「頑張り」を、自分のメンタリティと感じているので、この言葉に弱いのです。
「あぁ、自分はまだ足らなかったんだな。」「あの人が叱ってくれる御陰で自分は鍛えられてます!」と抑圧して合理化してしまい、謙虚を超えて、「自虐」に変わって、底なし沼に引きずり込まれます。
例えば、あなたが、十分に几帳面に過労死するほど仕事に尽していて、別に問題も起こしていなくても、
自己愛神経症者は、メランコリーでやさしい人に「お前は適当だな。もっと几帳面にやれ。」とか「責任感がないな。」とか「優しさがない。」とか「頑張りがまだ足らない。」とか「お前は甘えてる」とか、なんの具体性もない、あげ足取りした言葉を平気で投げつけます。
これは神経症的傾向の一つである「非現実的欲求」です。
精神科医のカレン・ホーナイ(Karen Horney)によれば、「~すべきだ」という思想を相手がどんな状況であろうと欲求することです。
本人は当たり前だと思っているが、自分が行っているわけでもないので、第三者から見たら傲慢である欲求です。
神経症の特徴①②
まず、自己愛神経症者の、このような底なし沼に引きずり込む手口にひっかからないように意識しておくことが大切です。
彼らの目的は、あなたを成長させることでも何でもなく、最終的にあなたに不幸に死んでもらうことです。
そのために、あなたに声をスピーカーのように張り上げさせ、光より速い速度で動くことを欲求し、ヒーヒー言いながら苦しむ態度を見つつもそれを我慢することを欲求するのです。
当の本人は、そんなことしようとはしません。実験マウスのように動くあなたを見て嘲笑するだけです。
そうやって他人を下げて下げて死ぬまで下げまくり、自分を上げようとします。
はっきり言って「甘えている」のは、他人に「甘えるな」と言う自己愛的な神経症者の方なのです。5歳児の脳みそのまま止まっていまい、その自分の幼児的な万能感から非現実的欲求で他人を卑下して、「そんな自分を無償で分かってくれ」と欲求しているのです。