優れた心理士の違いは自己内観できているかどうか

臨床心理士でも心理学者でも優れた人の違いは自己内観できているかどうか。
例えば、嫌な出来事があったら、なぜ嫌なのか、自分の過去の嫌な体験を直視して客観的に分析して解釈できているか。
この作業は嘔吐するほど苦しい。周りにそれを受容できる人がいないと、抑圧だけになって病んでしまう。

この自己内観の作業は一人では無理。自分が正しく自覚していない、実にみっともなくて情けなくて固着している部分を目の前にドンと見せられて、恥ずかしさと見苦しさで生き恥を晒して悶絶して嘔吐するレベルで苦しい。しかしそれを出し切った先に清涼な世界が広がっている。

クライエントには外堀を周りながらさわさわする程度なのに、
心理士同士では強制深海ダイブさせてお互いに心をナイフでグサグサ刺し殺し合いながら呼吸停止しそうな修羅場でメンタルを鍛えていますが、建設的な破壊になっていてそのうち快感に変わります。

ウェーバーの言う通り、規制や税金の抑圧からの反動、自由を求めるのがアート(芸術、技術)だから、抑圧体験の反動が原動力にないと作品に普遍的な共感は得られず、
村上隆の言う通り、作品を串で貫く歴史の重層性がないので
夏目漱石の言う通り、教養のない自意識過剰な人が一瞬の花火で散って終わる

カウンセリングは浄霊である~親・先祖から代々受け継がれる自己愛の悪霊~

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