およそ1年ぶりに祖母に会った

日々の研究日記

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高齢者施設に入所した祖母に1年ぶりに会いました。

1年前の今頃は実家での物忘れ、奇行、妄想・妄言、興奮などが悪化し、病院の医師やケアマネジャーの早めに入所した方がいいという助言と計らいを受けてのことでした。

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正直なところ、この1年、寂しくて心痛む気持ちもありましたが、毎日の監視・監査の呪縛のような日々からの解放感はありました。
あのまま在宅で介護を続けていても心身ともに持たなかったと思います。

当時は祖母のヒステリックな興奮状態が治まらなかったので、入所(最初は病院への入院でした)した頃は、病院の院長先生からも面会はあえて控えるようにとも言われていました。

1年ぶりに会った祖母は、白髪でやせ細り、車椅子で上手く歩けなくなっていました。

元々ふくよかな体型で、頭はボリュームあるパーマを掛けて紫カラーをしていて、身体的なADL(日常生活)は自立(とはいえ認知症により奇行・徘徊だった)していましたが、ここまで変わるとは・・。

正直、誰か分かりませんでした。

ただ元看護師ということもあってしゃべりが好きでニコニコしながらよくしゃべるおばあちゃんになっていました。

私と会っても、まるで3日ぶりに会ったかのように覚えていてくれました。

高齢者施設に入れたことを逆恨みしているのではないかと思っていましたが、そんなこともなかったです。

いや、というか認知症が進行して、なんで自分がここにいるのかということを瞬間的に忘れているのです。

認知症の中核症状は見当識障害と言って、時間→場所→人の順番で忘れていきます。

時間は、1年前の実家で介護中も早朝4時に「帰ってくる!」と台所で誰かの帰りを待ったり、冬なのに夏と言ったりととめちゃくちゃでした。
場所も、車で移動中に「着いた!」と妄想を見て言って勝手に降りてしまうのでチャイルドロックを掛けていたのでややダメでした。
人も、私を死んだ夫とごっちゃにして、息子を死んだ祖母の祖父とごっちゃにして認識していることがあったので、ややダメでした。

1年後はと言えば、時間は完全に分からず、今いる場所も完全に分からず、人は対面して話している分にはまだ分かって話せる程度でした。

私が話していても5分程度で「もう帰る時間だね」と急に言いだしたりと、本人にとっては実家の自室で話している感覚で話しているようでした。

話の内容は、話した瞬間に忘れるので焦点が絞れず、妄想も入るので、否定せずに共感的に接するだけで精一杯でした。

祖母は私にとって、「やさしさ」を押し売りする偽善者そのもので、その対価として監視・監査・管理という操作的な呪縛を掛けてくる存在でした。

ただ一方で女手一つで仕事を辞めてでも育ててもらったという恩には深い感謝の念があり、複雑な思いです。

1年間、しょうがない状況に追い込まれたと言えども、どこか他人のようになってしまったような祖母を目にして、あとで泣いてしまいました。

急にこんな山奥の施設に一人ぼっちにさせてしまった申し訳なさと、病に対して何もできなかった悔しさと、祖母が遠くへ行ってしまったような寂しさ・・そんな罪悪感です。

泣くのはいつも罪悪感の解消なのです。

ただ生きているうちに、覚えてくれているうちに会えてよかったという思いで、施設をあとにしました。

一度会ってしまえばあとは気軽に何度も会いにいけるのです。

この1年間、最初は興奮と妄想を治めるために病院で統合失調症の精神病治療を行っていたようでした。
それに合わせるようにして半年後には、今のようなニコニコとして全てを忘れたような状態になったと思われます。

最後に私は祖母と握手をして帰りましたが祖母は「痛い痛い」と笑いながらに応えました。
もう手がやせ細っていて、軽い打撲でも内出血が治らず紫色の斑点ができてしまいます。
骨が弱っているのでわずかな刺激でも痛いのです。

おそらく祖母はあと3年生きれば良い方だと思います。

何らかの拍子に骨折か肺炎かで寝たきりとなるか、気づいたら心停止して老衰していると思います。

ありがた迷惑な性格の祖母でしたが、悪い性格ではなく、徳は高い人なのでどうか安らかに最期を迎えてほしいと思います。

私はその意志を引き継いで後世に伝えたいと思います。

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