川崎重工への抗議行動に対するアートへの考え方

ヨーロッパだったら肯定的に評価されるやつ。
ただド直球に川崎重工はアートよりはロックすぎる…

今年開館65周年を迎える東京・上野の国立西洋美術館で明日開幕する、「ここは未来のアーティストたちが眠る部屋となりえてきたか?──国立西洋美術館65年目の自問|現代美術家たちへの問いかけ」。同展参加作家の飯山由貴が、3月11日に実施された記者向け内覧の会場にて、イスラエルのパレスチナ侵攻と、それに加担する企業としての川崎重工へ抗議行動を行った

飯山由貴がイスラエルのパレスチナ侵攻と同館スポンサーの川崎重工に抗議。国立西洋美術館「ここは未来のアーティストたちが眠る部屋となりえてきたか?」記者内覧で 
https://bijutsutecho.com/magazine/news/headline/28608

警察を呼んだのは完全に表現の自由への圧迫でアウト

パレスチナへの抗議だったら警察を呼ばず、イスラエルへの抗議だったら警察は呼ばないような忖度。

事後的なことならまだしも美術館の場で呼ぶのは表現の自由の侵害と後々国際問題に発展するので止めた方がいい。

一貫して不変性が乏しくなる

アートで訴える時に具体的に暴露ド直球でもいいが、世代や時代を一貫して不変性が乏しくなるので、ある程度の抽象化させてお出ししないと暴露系一発炎上屋みたいになってインテリ層がついてこないことがある。

もしやるなら

もし私が防衛費増税で浮かれる川崎重工や三菱重工をテーマに風刺アートやれ言われたら、
戦闘機や零戦の絵が袋に描かれたアメをバラまく感じのことを考える。

あるいは風刺的なモダンアート作れ言われたら、ユニクロの廃棄ボロ布に、壊れたApple社製品の部品をくくりつけて日本列島の枠にアメリカ国旗を描く感じのモザイク画やりそう。

本来のアートとは

ミケランジェロのように、
局部露出が国(教会)に規制されたら5mのダビデ像作って堂々と股間見せつけたり、
カトリック総本山バチカン宮殿で「最後の審判」大天井画で「お前らが地獄に堕ちろ」と増税や規制ばかりするキリスト教会関係者を地獄行きサイドへ堂々と似顔絵書いたのが本来のアート。

この「神ではなく人が決めるんだ」と本質を構造的に切り分け、国の悪事を暴いていったルネサンス、ウマニスタ(人文学)のリベラル・アート(自由な学問)系譜が、
今の「理系」(理科:自然科学・社会科学)なのだから、
科学やりながら増税や規制の官僚の味方してたらそれは理系という名だけの宗教団体。

なので近代以降は、科学者やクリエイターなどリベラル・アーツ(自由な、技術・芸術)は、政治家とワンセット。
増税や規制ばかりする中世以前の「官僚制」の官僚に対立。

「政治と科学や創作活動は関係ない」と言う人を見ると「え?200年以上前の脳の人?」となる。

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