リベラルアーツに学ぶ基礎研究教育の大切さ

鎌倉時代の歴史書に記述の星を“超新星と特定” 東大など発表 | NHK https://www3.nhk.or.jp/news/html/20240715/k10014511681000.html 歴史書「吾妻鏡」には、旧暦の1181年6月25日に「客星」と呼ばれる星が突然現れ、「土星のような明るさに見えた」とする記述があります。

東京大学の大学院生、黄天鋭さん

国籍でどうこう言うと言いたくはないが、日本人がこの内容の研究計画書を提出したら
「歴史なんて役に立たない。アメリカ様の先行研究を後追いで、過去へ選択と集中しろ」
とボツになる。
円安で日本の大学院も割安になりリベラルアーツ感性当たり前の外国人学生が来てくれてる

日本が世界基準のリベラルアーツ教育体制ではないせいで
「(アメリカが先にやって成果でた研究のみ)選択と集中しろ」
「それ明日にでも儲かる実益あるの?役に立たない研究はボツ」
と国内アカハラでぶっ潰したせいで「外国人による日本研究」がブルーオーシャンになってる。

明治の幕臣教育者が的確に「学芸技術」からリベラルアーツを翻訳してくれてる。
理科系・文科系とか日本以外に存在しない分け方を止めて、世界学問基準を理解して欲しい。

学(Science:科学)
Pure(基礎)
Applied(応用)

術(Art:技術)
Mechanical(機械、工学)
Liberal(自由)

Pure science
https://en.wikipedia.org/?title=Pure_science&redirect=no

Applied science
https://en.wikipedia.org/wiki/Applied_science

聖書片手に「過去、最初から答えは神が決めてる」(演繹法)と言って、貴族と僧侶が「選択と集中だ」と私利私欲で規制と増税をしまくって腐敗したのが中世。

それが革命で滅び「神ではなく人間が何度もトライアンドエラーで未来へ新規更新して、仮説と実験を再現的に繰り返す」(帰納法)のが近代以降

近代以降はリベラルアーツ学術は理系(自然科学と社会科学)しかない。そのリベラルアーツ基礎教育の上に、功利的な工学が乗っかる。
総合大学(リベラルアーツ)の上に、専門学校の資格(専門職)があるイメージ。
リベラルアーツ無視して、専門のみへ選択と集中すると間違う。理系科学の帰納的に積み上がらないから。

大学院まで広義に基礎学問研究なのだが、その上に功利的な工学が乗っかってる世界基準リベラルアーツの価値観がないと
「基礎研究なんて役に立たないからいらない、専門職のみに選択と集中だよね」になる。
これやると理系の特徴である「新規・更新性」が消える。
電話交換手が一生残ってしまう。衰退

例えば、日本の東京大学は、明治時代の政府官僚の庇護を受けた開成学校、医学校、昌平学校と工部大学校が集まって出来た。

そこに廃藩された武士が詰め込まれて「年功序列で上の者に従え」という朱子学(儒学)を叩き込まれた。

「奴隷のように物作りしながら、上に従え」と教訓にした。

元々、東京大学は明治時代の政府官僚の庇護を受けた開成学校、医学校、昌平学校と工部大学校が集まって出来た大学である。江戸時代まで武士は藩に入ること(公務員になること)が唯一の道だった。だけど廃藩で武士は明治時代以降、この工部大学校に入った。このせいで日本は最初から工学部が偉かった。

東京大学が江戸時代の導入時から「選択と集中」でモノ作りの奴隷養成所として利用されたように
リベラルアーツ(自由学問)なき工学のみは奴隷の学問と揶揄される。
その技術(アーツ)を得るまでの、基礎研究の「新規更新性」がないから。生み出さない。

中国人の医療者と日本語で話していると上司のことを「棟梁(トウリョウ)」と呼んでいる。

日本語では院長や部長や師長のこと。それを誤訳しているのだが、
リベラルアーツの感性で、大工と同じ「工学」の技術職と解釈すれば「工学の資格専門職」は「棟梁」という漢字がピッタリな気がした。

タイトルとURLをコピーしました