「自我」と「自己」と言う言葉をよく聞くことがあると思います。
これらは正確には別の言葉です。
端的に言えば、自分が考える「自分」が「自我」。
自分と他人を通しての「自分」が「自己」です。
心理学の派閥にも自我心理学派と自己心理学派があります。
自我心理学派の歴史は古く、自己心理学派は新しいです。
(転載はじめ)
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フロイトは他人の存在は無重視して、自我が勝手にしていることにした。
自我は自己を動かして他者とかかわるため、直接他者にかかわることはない。
自己(セルフ)は自分自身で感じられるもの。直接他者と関わる。
他者視点での私の体験を自己と言う。
自分は悲しんでいる、など感じられる。
よって相手と共感することで他人の自己が観察できる。
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(転載終わり)「痛快心理学」和田秀樹より
自我を語る時は、よく「アイデンティティ(自我同一性)」という言葉が使われます。
アイデンティティは「自分視点の自分定義集」です。
人は14歳頃から40歳頃までの「青年期」の間に「自分は何者であり、何をなすべきか」を考えながら、イメージの自分と同一にしていきます。
もちろん誰しもがうまく同一にして形成していくわけではありませんが、何度もの危機的な体験の中で形成していくと仮定されています。
自己を語る時は「パーソナリティ(人格)」という言葉が使われます。
パーソナリティは「他人から見た自分らしさ」です。
例えば、自分は女だけど「男っぽい」と、周囲(他人)から言われたとします。
自分の中(自我)では「自分は女だ」と思っていても、周囲の目を通す(自己)だと「男っぽい」のです。
たとえ「男っぽい」と言われて、それを自覚しつつも「私は周囲から男っぽいと言われる女だ」と「自我」を正確にコントロールするのが「自己」です。
もし女なのに「私は男だ」と本気で「自我」で思い込んでいるとしたら、性格が分裂している精神病です。
あくまで他人との交流からの自分視点を重視するのがパーソナリティです。
※「自我同一性」という言葉は、古典的で説明に限界(他人の存在を無視しては心理で説明できないことが多いため)があるとされ、「自己同一性」と最近になって呼ばれるようになりました。どちらも同じ意味ですが、ここでは自我と自己の違いを説明すべく、古典的な言い方を使用しました。
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