なぜか「自由」を守るのに「インボイス」「統一協会と政治関係」「国葬」に賛成する矛盾

「〇〇の自由を守ろう」は大切なのですが、
「インボイス」「統一協会と政治関係」「国葬」など
「自由」と歴史的にも完全に敵対する真逆の上位問題が出てきたときに、押し黙るどころか、あろうことか賛成する人が多々いたのは
脳内で別々フォルダに認識されて、統合されていない欠陥だろうな、と。

「〇〇の自由」と「税金」「宗教」は真逆の対立する概念なので、反対しないと論理的に筋が通りません。

特に統一協会と政治関係に反対するのが当たり前であって、
容認や黙認でそれをしないと、悲しくもその人が、ちゃんと中学生までの立憲主義などを学んで理解してないと分かるリトマス紙として使えてしまうのが情けないというか。
反社会的勢力に加えて勉強できない残念すぎる人にしかならないです。

何においても社会化が大切

何においてもKJ法やブレインストーミングのように、問題を統合して抽象化と社会化させていく過程と、逆に分解して矛盾なく具体化させていく相互可変の思考訓練は大切だなと感じました。

好き=良い=知ってる=善
嫌い=悪い=知らない=悪

という個人の主観的な感想という幼稚なフォルダがあって、そこへシュートされていき、そこで集客して注目賞賛と承認欲求を満たそうとするので、おかしなことになるのです。

リトマス紙として使えてしまう統一協会

統一協会を反社リトマス紙で、個人や団体を検査して焚き付け続ければ、仲間や取引先や友人や知人から「おれは、しーらね」でサーッと逃げて分断されていって、
宗教の性質上、最終的に「本人」と「家族」が残るので、検査として有効すぎるんですよ。

カルト宗教はハマった人を仕事や友人などの助けてくれそうな人を分断させ孤立させることでの信仰強化を狙い、同時に家族という原初的な集団へ収束させて丸ごと破壊するので、
リトマス紙として使っていくと最後は「周りから避けられた家族」が残ってきますね。

「〇〇の自由」に賛成するのに政治批判を嫌う人たち

・ネガティブな話題をやめよう!←そうだね
・社会問題なんて興味ありません!シャッター閉めよう!政府批判をやめよう!←は?
・みんな私だけを見てー!←あー…

そりゃそんな良い人仮面の自己中ムーブしてたら、周りから人が避って嫌われます。

「答えはすべて決まっている」と考えてしまってそれ以外を排除する自閉症的な混乱思考

分断的な思考法で混乱するのは自閉症的な混乱に多いです。

最初から答えが決まっている演繹法。数学(神学)の「最初から答えは神様が決めている」という宗教的な手法。中世以前。

これに対立したのが理系の帰納法。人間が数を観察して仮説から考察していく。小中学生で習う、理科の手法。近代以降。

算数は好きだけど、理科は嫌い。
理科は嫌いだけど、算数は好き。

当たり前。

やり方が間逆なんだから。


「〇〇の自由は好きだけど、国のインボイス制度や統一教会や国葬は関係ない問題ない」
「トマトは好きだけど、野菜売買禁止は問題ない」
「チワワは好きだけど、犬虐待は問題ない」

抽象度が上がると理解できずに自己矛盾。ASD的な混乱。

思考回路パターンが分かりました。改善が必要ですね。

上書き更新されないデメリット

アスペルガーが、数学が得意(やると興奮する)理由が「最初に見た先入観・第一印象から上書き更新されない」「答えにこだわる」「式の普遍的な美しさ」という、電車のダイヤグラムにドはまりするような、演繹法的な親和性がありすぎるので。
はい。もちろん私も大好きですが。

「上書き更新されない」デメリットが安定感はあるものの、
「初回が赤い服の人が翌日に青い服を来ていたら別人として認識される」
「ブスと先行インプットされたら生涯ブス」
「最初から権威のあるものは最初から権威があると思い込む(偉い人は最初から偉い人、大企業は最初から大企業など、過程の排除)」
「古いやり方に戻そうとする」
「チャレンジしない」
「答えがあってそこに遡及する思考をするので、論理矛盾が起こり可能性を排除してしまう」

ハイブリッドなことを求められて、これらの「答えを最初から決めてしまう」演繹法的な「こだわり」から、コミュニケーションの欠如から、想像力の欠如、社会性の欠如へワンセットになってしまってどうしても苦しいのです。

流血していく自分

自己形成が不全で、クライシスから他者との境界が曖昧になったときに起こる、流血していく血を止めようとするのだけど、他者の血と混ざり合って分からなくなる感覚。

自己の面舵(おもかじ)を握りしめるのに必死。

この精神構造の危うさが本当に危ういですね。

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