今年(2015年)であれから4年も経ちました。
被災者・遺族・その他関連災害にあわれた方々に謹んでお祈り申し上げます。
ふと思い返して、当時、自分は何をしていたかを振り返ってみることにしました。
2011年3月11日は大学も授業がなくて14:46頃は自宅でパソコンを触っていました。
東海地方に在住しているので地震は2か3くらいでほとんど感じませんでした。
Twitterを見ていたので
突然、タイムラインが地震一色になるTwitter。
— 時田憲一(本人) (@tokeyneale) 2011, 3月 11
Twitterの仙台の知人が仙台駅の看板が落ちた画像を載せたので結構揺れたんだな的な感じでした。
なかなかヤバいことになってますね。RT @hotateyasan 仙台駅崩壊! http://bit.ly/fh7qpO @katz_supremacy 仙台駅えっ、ほんとに
— Tokey_Neale🌏🇩🇪 (@tokeyneale) March 11, 2011
KeyHoleTVをつけてCNNなどの海外チャンネルを回したらどれも日本の映像ばかりで、日本のチャンネルかと疑うほどでした。
CNNが速報してる。海外の番組なのに思いっきり日本語だったから日本のチャンネルみ間違えたかと思った。
— Tokey_Neale🌏🇩🇪 (@tokeyneale) March 11, 2011
地震発生してから30分、まだ原発に津波が押し寄せる前、私が予想したのは「原発は無事です」という報道をやるということでした。
案の定でした。いやそれ以上に、本当に津波以前に地震で壊れていたのに、政府や報道主導で隠蔽していたのがひどかったです。
私のツイートから2分後の15時27分後に福島第一原発に津波が襲いました。
予想される展開:東通・女川・福島・東海の原子力発電所 『放射能漏れの心配は一切ありませんっ!(キリッ)』
— 時田憲一(本人) (@tokeyneale) 2011, 3月 11
為替チャートをいつもパソコンの画面で合わせて開いていたので、1ドル76円まで下がった時はびっくりしました。
地震で対ドル円下落きたな…
— 時田憲一(本人) (@tokeyneale) 2011, 3月 11
Twitterのタイムラインのが地震情報で流されすぎて追い切れず、見る方も追えない状況だったので、見たままの事実的な感想文を書くのがやっとでした。
津波で岩手県が飲み込まれとるんやな
— 時田憲一(本人) (@tokeyneale) 2011, 3月 11
仙台空港が湖になるとは…
— 時田憲一(本人) (@tokeyneale) 2011, 3月 11
茨城県の鹿島神宮の鳥居崩壊のニュースを見てツイート。19時頃にはタイムラインは落ち着いてきていました。
茨城県の鹿島神宮の鳥居が崩壊した。鹿島神宮は鹿島神社の総本社。武甕槌神(タケミカヅチ)を祭神として、地震を起こす大鯰(おおなまず)を要石で押さえつけて防いだ『地震の守り神』として伝わっている。
— 時田憲一(本人) (@tokeyneale) 2011, 3月 11
『【万葉集】ゆるげども よもや抜けじの要石 鹿島の神のあらん限りは (鹿島の神さえいれば、要石は緩むことはあっても抜けてしまって、大地震が起こることはないだろう)』
…今回、鹿島神宮の鳥居は壊れてしまったけど、まだ要石は抜けていない。昔の日本人の芯の強さに習って心強く生きよう。
— 時田憲一(本人) (@tokeyneale) 2011, 3月 11
反響が大きかったので、続けて阪神・淡路大震災のPTSDの事例を先んじてツイートしました。
被災した人をさらに責め立てるのはよそうという話です。
日本でPTSD(トラウマ)が注目されだしたのは阪神大震災の頃。でも神戸で被災して、やっとの思いで実家に帰ったのに「沢山の人が死んだのに、どうしてお前は助けに行かず、帰ってきたんだ?お前こそ被災して死ねばよかった。」と親に言われ、被災トラウマとダブルでPTSDになったケースもある。
— 時田憲一(本人) (@tokeyneale) 2011, 3月 11
家に帰って「なぜ帰ってきた?多くの人が死んだのに、助けずに逃げたお前が死ねばよかった。」という悲惨な言葉での二次的なPTSD(トラウマ)を防ぐためにも、親族や知人の方はまず生きていることを褒めて下さい。「心配したんだよ。よく帰ってきたね。安心したよ。」と、温かい言葉を掛けて下さい
— 時田憲一(本人) (@tokeyneale) 2011, 3月 11
大地震などの大災害があると決まって「災害よりオレの方がすごい!」と不謹慎に被災者を貶し始める「かまってちゃん」がよく現れます。
要するに「自分が常に周囲から注目されているのが当たり前」と思うほどに自己愛が未熟なので、周囲が災害などで外界への興味を持つと、不謹慎だろうとなんだろうと、その周囲と反対のことをして注目されようとします。
それはよくあるのですが、「いち早く神に召されてよかった」「亡くなられた方は神に愛されているのです」など、中世キリスト教の魔女狩りの頃の一番ひどい、腐った僧侶みたいなことを言い出す人まで現れて、そちらの方が違った意味で不謹慎でした。
神経症者や人格障害者の合言葉は『そんなことより私の感情を。(構ってくれ)』。この【幼児欲求】は成層圏より高く、地震の震源の深さより深い。周りが不幸なほど、自分をアピールする。これは自分以外の全宇宙を自分より不幸にするまで続く。自分以外が全員死ぬまで続く。まともに構わないように。
— 時田憲一(本人) (@tokeyneale) 2011, 3月 11
当時はホームセンターでアルバイトしていました。翌日は電池と水が売り切れになりました。
バイトなう。ホームセンターだけどやはり電池や水とか防災グッズがよく売れる。社員のいくらかは新潟の方に駆り出されてる。お店が崩壊したので復旧手伝いも兼ねてるらしい。岐阜はいつより増して車が多い。一般企業の人は、会社やお店の崩壊を直すために、休みだろうが出勤しなければならない。
— 時田憲一(本人) (@tokeyneale) 2011, 3月 12
更に翌日には木材が建築系の業者にすべて買い抑えられて空になりました。4日目くらいからマスクも売り切れました。
中部地方のホームセンターでバイトしてるが、懐中電灯・電池・水・テッシュ等が売り切れ。再入荷の見込みなし。個人より企業で買う人が多い。「木材」を数十万単位の予約で買い占められた。建築会社関係で復興に使うためだろう。建築会社も仕事はあってもモノがないので、取引先以外から買うしかない。
— 時田憲一(本人) (@tokeyneale) 2011, 3月 14
2011年3月13日
https://netkudoku.seesaa.net/article/190478620.html
2011年3月14日
https://netkudoku.seesaa.net/article/190677570.html
2011年3月15日
https://netkudoku.seesaa.net/article/190825468.html
放射性物質飛散の画像を作成して風向きから逆に安全な部分もあると書いたが、やはりデマを煽るな云々で心理的抵抗が拭えない人に粘着されたりしました。
地図に福島原発付近から20km~300kmの範囲線を書き加えました。チェルノブイリやスリーマイルのメルトダウンの時、放射性物質は最大300km飛散しました。今回は風向きや内容を考えても、そこまではないとは思いますが参考までに。 https://twitpic.com/49jvgf
— 時田憲一(本人) (@tokeyneale) 2011, 3月 14
2011年3月16日
https://netkudoku.seesaa.net/article/191023865.html
それでも人間は20年もすれば完全に忘れてしまい、被害にあった人でさえ今度は大丈夫なんじゃないか的な空気に戻ってしまうのだろうなぁと切なく感じます。