「恩を仇(あだ)で返す」という人がいます。

人間は良かれと思ったり、別に打算的に恩を売るわけでもなく、他人に何かをあげたり、何かを助けたりします。

打算的にしろ、そういう裏の動機がなかったにしろ、いずれにせよ優しさや愛情を提供することはあります。

しかしそれに対して攻撃的に怒りを返してくる人がいます。

心理学の行動分析理論では、動機が何にしろ相手を褒めたり、良いものを提供することを「肯定的ストローク」と呼びます。

しかしその肯定的ストロークに対して、
怒ったり、復讐する行為は明らかにおかしいのです。

彼・彼女らはどんな心理なのでしょうか?

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恩を仇で返す人の幼児的な思考回路

優しくされる、良いことをされる

この私が他人に頭を下げなければならない
感謝を要求されている

あいつは悪人だ。復讐してやる。

基本的にはこの流れです。

明らかに最初の「この私が他人に頭を下げなければならない」「感謝を要求されている」という受け取り方がおかしいのです。

・語尾に「べき」をつける強迫的な精神病症状
・善か悪かでしか考えられない二分法思考
・被害的な「認知の歪み」

が表出しているのです。

みなもと太郎「風雲児たち」より抜粋

どうしてこうなるかは過去記事で書きました。

神経症→人格障害→精神病の認知の変化まとめ

なぜ神経症・強迫性障害は非現実欲求になるのか

理不尽なのは「悪意を証明させよう」とする人

検索 二分法思考はいつ植え付けられるのか?~強迫性・自己愛性・境界性~

児童相談所・一時保護所の事例

虐待、DVを引き受ける児童相談所・一時保護所。

そこでも同じような事例を聞きます。

あるカウンセラーが
『「なんでこの私が優しくしてるのに、あの子はいつまでも逆らうんだ」・・とか言う児童相談所の職員にはため息が出る。』と言っていました。

その通りなのです。このカウンセラーは優れています。

どういうことか?

「虐待もDVと同じ」ということです。

DVでは加害者は相手を殴ることで相手の愛情を試しています。
なので急に優しくなる時が周期的にあります。

だから「被害者は優しさや笑顔を疑い、恐れる」のです。

優しくしたら、次、殴ってくるんでしょ?
という人間不信が根底にあって認知の歪みが発生しているのです。

基本的なことです。

つまり「そんなことも知らないで、打算的に優しくして逆らうことを想定していなかった児童相談所の職員は未熟」とカウンセラーは言いたいのです。


無理難題を他人に欲求するのは、根底に無償の愛を親に求める幼児行動がある


相手にわざと無理難題を欲求するのを「幼児的願望」と言います。

無償の愛を親に求める幼児の行動に起因します。

相手が「できない」と言うと「その程度か」と卑下し、
「ほーらやっぱり」「無視するんか」「役に立たない」「やる気、努力が足らない」
と罪悪感を植え付け相手を操作します。
これを「幼児的操作」と呼びます。

ここまでが典型的な神経症の症状なのです。

どう対処するか?

正直なところ、一度、恩を仇で返されたら身を引くこと、関わらないようにすることが大切です。

ゲーム理論のように排他的な行動ポジションを取ると自然淘汰的に損して消えていきます。

同情の余地などありません。

なぜなら「他人を巻き込むこと」が彼・彼女らの目的であり、だからこその「幼児性」だからです。

放っておいても勝手にすっ転ぶので、慈悲深く見守る姿勢で、離れて自立を促すことが大切です。

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