日本人の特徴のように言われる
「勤勉」→明治から150年程度の歴史しかない
「自立/独立」→昭和から60年程度の歴史しかない。
しかも、親から離れれば家も家電も2つ必要になるので、不動産屋と家電屋が儲かるという煽りマーケティングの一つ。
未だ真の「自由」と結びついた精神性へ昇華されてない。

皇紀2679年のうち、日本人の「勤勉さや時間を守る姿勢」は明治からの150年程度の歴史しかない。「親の実家からの自立」も不動産屋のマーケティング洗脳で60年の歴史しかない。「社会の常識」と言われるのは皮をむけば実に薄皮。本来の日本人は、自立して勤勉でもない。 https://amazon.co.jp/gp/product/434

明治時代の資本主義導入に伴いキリスト教プロテスタンティズム(質素倹約・勤勉労働)の象徴として、イエスの代わりに二宮尊徳(二宮金次郎)を小学校に教祖として像を建てまくった。しかし日本の儒教を捨てきれず。丁稚奉公の様相が強い。自由の精神が抜け落ちてしまった。

ただ「機会平等」と「勤勉の精神」(質素倹約)だけでは機能しない。
プロテスタンティズムの精神(資本主義の原動力)がそうであったように「神」の存在が必要。日本だと「天皇」(カミ)。「予定説」がないと、未来の成功が保証されないから。


「からの自由」から「への自由」へ

自由には、消極的な「~からの自由(from)」と積極的な「~への自由(to)」の2つがあります。「~からの自由」ニセモノ。また束縛をする「呪い」です。「~への自由」主体的な動機を持ちましょう。

キリスト教プロテスタンティズムだと、質素倹約と勤勉の先に「〜への自由」をゴールを置くけど、
二宮金次郎だと単に儒教の枠組みの家族のために質素倹約と勤勉してるだけなので「貧困からの自由」にしかならない。

おそらく当時の察しの良い人なら「なんで質素倹約や勤勉や身分機会平等を説きながら、丁稚奉公で家族奉仕を解くんや、矛盾しとるやろ」と気づいたと思う。

幸せと自由が機能する三本柱

「金」「技術」「友達」
1つでは幸せになれず。2つ以上で幸せを感じるように。
「節約」「勤勉」「予定」の資本主義の精神の3つが機能しないと豊かになれません。
「自由」「平等」「博愛」の下地を作るのです。