フィボナッチリトレースメント
フィボナッチリトレースメント
(為替は1.618:1の自然界の神様の創造した黄金比。61.8%と38.2%でラインの支持・抵抗になる)

通常の「資本主義」「共産主義」を説明しようとすると難しく、立場によって細かいので、かなり大雑把に数行で書くと語弊を生じる恐れもありますが、
ものすごく簡単にいうと「スタート」(前提)の違いです。

「どうしたらみんなが良くなるか」というゴールを目指すのは同じです。

そのために
資本主義」は、有神論(神様がいる)を前提として、経済を重視して、個人(集団・社会)は軽視します。
これは予定説といって「神様が全て決めている」という立場から、「働くことは神が定めし天職であり神への奉仕」だとして、「経済活動の自由」を重んじるわけです。
経済活動=神様への奉仕、という感覚は、日本人には理解し難いですが「予定説」を知れば一発で分かります。
神様の前では、地位や身分関係なく「平等」に勤労する「機会」が与えられていて、一心不乱に働けば最終的に「神の見えざる手」で需要と供給がつり合うように自然に調節され適切な資源配分が達成されるとします。
よって神様が全て決めているので、「経済の自由」を重視して、個人の経済活動以外の「個人の自由」は軽視されます。
神への奉仕のために自由に完全競争(価格受給)することこそ本位で、それを人間(集団・社会)が管理することは嫌います。
なので個人の集合体である国・政府は市場(経済活動)に介入せず、小さな政府(税金を少なく=減税)に節約していこうとする傾向があります。
そのために私有財産を前提として、財産の(生産活動への)投資から利潤を得ようとする資本家の行動が経済活動の基本とします。

もう少し歴史的背景も詳しく知りたい方はこちら↓
「ケチ」と「節約」の違い
https://libpsy.com/stingy-and-economy/1048

対して、
共産主義」は、無神論(=唯物論:神様はいない)を前提として、個人(集団・社会)を重視して、経済(個人の経済活動)は軽視します。
神様が全て決めていて、神への奉仕のために個人が自由に経済活動をする資本主義なんてとんでもない。人こそ自由意志の決定権・主導権があるとします。
よって「個人の自由」を重視して、「経済の自由」は軽視します。
なので、人が財産の一部または全部を共同所有(私有財産は禁止される,もしくは非常に限定される)することで、その活用から得られる利益を共有することで平等な社会をめざそうとします。

この分け方に、例外はあると思われるかもしれませんが、それは非論理がまかり通る今だから言える話で、もともと根本の共通論理は、有神論か、無神論かです。
数学(神学)で言うと「点」(位置をもち、部分を持たないもの。一切の体積、面積、長さをもたない。)が存在するか、しないかです。
これが存在論において神様が存在するか(有神論)、存在しないか(無神論=唯物論)の対立です。

「神」か「人」か、
「古典(Classic)」か「近代(Modern)」か、
「conservative(コンサバティブ:神様の保守・伝統)」か「Liberal(リベラル:人間の自由)」か、
「経済の自由」か「(経済活動以外の)人間の自由」か。

旧約聖書での神様(ゴッド・ヤハウェ・ハレルヤ・アッラー・エホバetc..)は、非論理があると人類を皆殺しにする神様なので、モーゼの頃から神様とのディペードで論破して鎮めてきたのが宗教の歴史であり、神学・法学・医学・哲学・音楽などの論理の「神の存在証明」の歴史なのです。

また後ほど私も書きますが、簡易的に労働まで含めて簡易的にまとめた記述があったので転載します↓

資本主義と共産主義(社会主義) -公平と言うこと
https://blogs.yahoo.co.jp/kouheiron001/51157892.html
(転載はじめ)
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英国発の資本主義と、マルクスたちが提唱した社会主義は、動労配分率による、資本の収斂先について、個人に起因すると考えたのがケインズたち資本主義者である。逆に資本の収斂先は、常に社会に起因するとしたのが、先にあげたマルクスたち社会主義者である。

簡単に説明すると、仕事をして利益が出た場合、労働配分をできるだけ抑えて企業あるいは資本家に多くを配分して、更なる投資をすることで雇用の拡大を図り、失業率を限りなくゼロに近づける事を目標としたのが、資本主義である。

逆に、最初から雇用100%を基本として、その労働によって得られた利益から労働配分率をでき得る限り高くして、公平に分配し、それ以外の利益は、税金として国家に入れて、社会保障などを充実した上で国家財政を成立させるのが、共産主義(社会主義)である。

双方の長所と欠点は、資本主義の場合、全ては個人へ起因するのだから、経済活動の責任もまた自己責任が基本である。その為に、成功者は、莫大な利益と富を独占できるのに対して、敗者は、負債や貧困に喘ぐ事になる。しかし、常に競争原理が働くために、社会は、停滞することがなく、常に発展を計画する事により、より強い企業や社会を作り上げる事が可能である。

共産主義の場合、資本は常に社会へ起因するために、その責任は、自己責任ではなく、社会、あるいは国家が取ることになる。この為に、安定している分、発展がなく停滞した経済状況になる可能性が高く、ソ連や東欧などの社会主義国が、経済的にも、技術的にも資本主義国から遅れをとったのは、この停滞と個人の無責任さが原因とされている。
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(転載終わり)

「共産趣味」「資本趣味」とは?
https://libpsy.com/comint-erest-vs-comint-west/1087