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私も手話を習っていて見ていて懐かしくなったので書きます。
「波打際のむろみさん」のオープニングが手話でのタイトルコールでした。
サブリミナルのように早いですが、解読することはできました。

大学の頃、私もノートテイク・パソコンテイクと言って、視覚障害や聴覚障害をもつ方の隣に座ってしゃべっている内容をノートしたり、パソコンで文字起こしをしていました。

最近は、文字を書けない学習障害児(LD)の子どもが、授業内でのパソコンの利用を許可されていたりして、便利な時代になったと思います。
一昔前ならパソコンなんて高価だったので逆に後ろ暗かったので躊躇したのと、努力不足と責任転嫁される解釈も少なくなり負担も軽減したと思います。

この「波打際のむろみさん」という作品ですが、絵のデザインが80年代・90年代のマンガ・アニメを彷彿とします。

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なので某掲示板ではその年代を狙い撃ちしてカルトな人気があります。

なぜか2007年の「瀬戸の花嫁」を彷彿としてしまうのは、演出だけではなく、声優陣までもが、主人公を同じ水島大宙として、桃井はるこ-野川さくらと同じく、田村ゆかり-野中藍(同じキング)といった、キングレコード>スターチャイルド=ランティス系というお馴染みの組み合わせだからでしょうか。2000~2010年を思い起こさせます。

「シリアルもの」「恋愛もの」「感動もの」「ホラーもの」いろいろありますが、個人的には「ギャグもの」を作るのが一番難しいと思っています。
テレビで人間がやるお笑いなら表情やテンポや会場の雰囲気などで「空気」を作り上げることができてしまい、あとで考えればそんなに面白くなくても、その場では釣られて笑ってしまいやすいです。

しかしマンガでは絵が「固定」されてますしテンポは人それぞれに任せられるので難しく、アニメでも「会場の空気」なんてものは視聴者は一人なので作り出せません。

2000年代に入ってからは、「瀬戸の花嫁」やこの「波打際のむろみさん」がギャグ一辺倒だけのアニメではテンポよく上手くやっている数少ない成功例だと思います。

「笑い」というのも「芸術」と一緒で、新規性を求める一方で、だんだん抽象性が増していきます。

最初は日常から創造性のある爆発的なイノベーションから始まり、それが定型化してつまらなくなります。

次にメタファーとして小道具が使われます。(ズラ、ヒゲ、ハリセン、タライなど典型的なもの)

それが定型化してくると、どんどん非現実的な笑いを求めるようになります。

そして「何がなんだかよくわからないが面白い」という無意識に働きかけるような謎の笑い「シュール」。「シュールレアリスム」(超現実主義)な笑いに移行します。
ここではサブリミナルや、影絵や色彩反転など、多面的・潜在的に解釈されるような手法がよく用いられます。

それらが飽和してくると、読者・視聴者側に共感を求めるような「あるあるネタ」が流行ります。
「これって面白いよね?」という確認も込めて、非日常だったところから現実的(日常的)なネタになります。

同時にまたメタファーとして「パロディネタ」や「オマージュネタ」が出てきます。
「あーそれ知ってる!」「分かる人にしか分かんないよ~」というお笑いインテリ知識層へ向けての発信です。

そしてまた定型化してつまらなくなって、また最初のようにイノベーションを求めるようになるのです。

ある意味、「波打際のむろみさん」は、80年代・90年代のアニメの絵柄をあえてパロディネタとしては使わず、「暗黙の了解」があるように全面に出し、さらにノリは2000~2010年と、ものすごい抽象性の高いところで視聴者の「笑い」と「共感」のツボを狙い撃ちしています。

「あるあるネタ」「パロディネタ」が過渡期を超えて飽和して、再イノベーションに向かっている現在、こういう直接的には気付かれないような高度な方向性にいく作品があるとは意外でした。

話がズレましたが、これを機に手話も学んでみてはいかがでしょうか。

続きのようなもの↓
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