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議論がどんどん個人の虚栄心に矮小化(わいしょうか)されていくことがあります。

あれ?おかしいな?何の話だったかな?

と思うことはありませんか?

例えば、これは会議の中でのAさんの応答である。

交通事故を防ぐにはどうしたらいいか?←「だって私は起こさないんですよ!」
災害への備えをどうしたらいいか?←「だって私は大丈夫なんですよ!」
学校でのいじめをどうしたらいいか?←「だって私はやらないんですよ!」
犯罪を減らすにはどうしたらいいか?←「だって私は起こさないんですよ!」
感染予防のためにどうすればいいか?←「だって私はかからないんですよ!」

アスペルガー(自閉症スペクトラム障害)

自己愛性人格障害と会話しているとよく起こる。

過去記事でも似たようなものを書いた↓
「災害より私の方がえらい」と言う自己愛~どうしてみんな津波に飲まれてるの?私は大丈夫なのに!~
https://libpsy.com/narcissus-tsunami/4533/

結局なにがいいたいのか分からない。

結論

「Aさんはすごいでちゅね~~」

これが言われたいだけ。おわり。

1時間も、3時間もかけた問題解決のための議論が、

個人の自己愛の虚勢をほめたたえて終わってしまう。

私も悩み相談の中で、似たような被害を受けている事例をたくさん聞きます。幼児を相手にしているような心境。

会議が個人一人の自慢話と武勇伝の独壇場になり「へぇすごいですね」で終わってしまうと。


自己愛の「小さな物語」のアリ地獄

自己愛の「小さな物語」に巻き込まれてしまう。

自己愛アリ地獄のエサにされる優しい人~「小さな物語」という蟻地獄~
https://libpsy.com/arijigoku/4359/

自己愛性の蟻地獄。

「アリ地獄のエサになった人が、メランコリー型のうつ病を強要される」。

独善というアリ地獄に引きずり込まれます。

「無条件で私の言うことを聞け」という世界に引きずり込まれます。

これが家族や学校や職場で、集団で起こってしまうのです。

まるで建設的ではありません。

自己愛は褒めてほしいのではなく「他人の存在」が分からない

20代になっても
30代になっても
40代になっても
50代になっても
60代になっても
70代になっても
80代になっても
90代になっても
100代になっても

自己愛は、こんな会話をしています。

彼・彼女らは乳幼児のように

「すごいでちゅね~~~」

と褒めてほしいのでしょうか?

いや、そうではありません。

「想像力の欠け」によって「他人の状況」が分からないのです。

自分以外の他人が分からないのです。

自分と同じように思考する生き物だと考えたこともないのです。


映画中にスクリーンの前で遊ぶ子どもと同じ

彼らは映画上映中にスクリーンの前に出てきて遊ぶ子どもと同じ。

映画なんかより

「わたしをみてーーーー!!」


と大衆の前でやります。

それを周りは

「すごいでちゅね~~~~」

と盛り立ててはいけません。

いくら上司だろうとも、いい年した大人でも、脳みそは5才児で止まっているのです。
これは例えではありません。本当に物理的に、血流が回ってないのです。

「他人がどう思うか」と認識できる脳の回路に血流が回っていないのです。

「自己愛」(未熟な自己愛)の段階で発達が止まっているのです。

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本来であれば、舞台ごと撤収してあげることが躾(しつけ)であり、多数派の幸福のためです。

どうすれば良いのか

ではどうすればいいか?

目的の共有

まず「目的の共有」が必要になります。

自己愛だけが声の大きくなる、自由参加型で意見を言っていても、優れた大人しい人が萎縮してしまうだけだからです。

集団においてはまとめる人が、意見を言いづらい人も配慮しながら発言を振っていく必要があります。

そこで目的となる共通した話題へと常に戻す必要があります。

個々人の武勇伝が始まってしまったら、
「Aさんはそうなんですね。ちなみに○○の件ですが…」
と自己愛を一度はキャッチしてから、話題を元に戻す必要があります。

時間制限を作る、匿名にする

また会議や議論の集団の場では、時間をもうけ、発言権も限らせることで自己愛の表出を最小限にできます。

一番理想的なのは、意見を「匿名にする」ことです。

日本では年功序列の空気で年上には逆らえない空気があります。

KJ法(紙に意見を書いてまとめて話題を抽象化していく)

ブレインストーミング(否定しないというルール)
を組み合わせることで、より建設的な議論が可能になります。