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幼稚園・保育園・小学校・中学校・高校・大学・大学院・社会人と、一般的な世間においては進んでいきます。

1つ1つの課程をクリアしながら大人になっていきます。

しかし必ずしもこのような形にはなりません。


思わぬ事故や挫折でハシゴを外されることがある

誰しもが途中でエスカレーター式でスムーズに行くわけではなく、思わぬ事故や挫折や経済的理由などでハシゴを外されたりする人もいます。

ただ、どのような不幸で不運なイベントがあろうとも、そこからの「学び」というのがあります。

机上の勉強ばかりが「学び」ではありません。

経済的に大学にいけなかった私

私の場合、高校の時に親が難病により解雇されて学費が滞り、高校に通うことが困難になりました。
親の退職金で卒業は出来ましたが、それ以降の大学は無理でした。

私自身も体に腫瘍ができたので高校卒業してからすぐに入院して浪人していました。

退院後は小売店で働きながら勉強していました。

なんとか大学へ行ける資金ができたので翌年には大学に通うようになりました。

一種奨学金と大学から貧困者として給付金を頂きながら何とか卒業しました。

ただ一方で他の働いている社員を見ているとあまりの地獄絵図で、社会に出るのが怖くなりました。


社会で働きたくないと思ったバイト時代

全国チェーンの一部上場の某ホームセンターの小売店ですが、出勤退勤はタイムカード式になっており、9時~17時の8時間(昼休み抜き)できっかり切られます。週休も2日です。

表向きはこうなってるので良いです。労働基準法の8時間をしっかり守っていると上に計上されます。

しかし実情は違います。

実際にこの8時間で仕事の業務をこなすのは不可能なノルマと仕事量が課されています。
つまり業務時間以外に無償で働かなくてはなりません。

開店は9時、その5時間前(早朝4時)には実際には出勤して仕事します。
そして閉店後も夜中の23時までサービス残業です。
つまり給料分は8時間+無償労働(タダ働き)は11時間で、毎日19時間以上の労働です。

昼休みもあるように見えますが、休んでいると怒られ、呼び出されます。昼休みもありません。
休日もあるように見えますが、呼び出されるので休日はありません。

これだけの過酷な条件だから給料も良いのだろうと思いますが、べらぼうに高いわけでもなく1ヶ月21万円ほどです。
手取りにするともっと下がります。

でも年功序列だから長く勤めていれば上がるだろうと思いますが、30代に入ると労災が危ないだのの理由をつけて、新卒以下の19万円以下まで引き下げられていきます。
減給+役職も降格させていきます。

学歴が関係なことを思い知った

学歴主義の人にとっては、きっと学歴は好ましくない人たちがこういうところで働くのだろうなんて思うのでしょうが、ほとんど大卒です。

私の一時期の店長は国立の大学院で遺伝子工学の専攻でした。
しかし上司は中卒・高卒者が多いです。

成績がいいひとが出世しているのではなく、運良く売り上げのいい店舗へ行って、
かつ性格的に「怖い人」が出世するのです。


知能は小学生のまま昭和初期の時代までやり方を戻させる

なにか新しいことを提案したりすれば潰されます。

ネットも不可の昭和初期の古典的なやり方まで戻されます。

店長会ともなればほとんどヤクザの集まり。

上司といえば事務所で作業机に足を上げ、タバコを吸い、ジャンプを読みながら「おい、お前らやる気が足らん。真面目にやれ。」とアゴで他人を使う始末。

私を呼ぶ時は中指を立てて呼びます。

ゴミ箱を投げつけられ、罵詈雑言で嘲笑されながら働いていました。

自分で言うのもなんですが、18年間、皆勤賞で成績も高成績だった私にとって
「はぁ、作業机に足を上げ、タバコを吸い、ジャンプを読みながら、他人にゴミ箱投げつけるのが真面目・・?」と素直に思いました。

40代の人が、30代の上司に髪の毛を捕まれ、罵詈雑言を浴びせられながら、壁にガンガンぶつけられている場面もありました。

お互いに強盗をし合う店

店長が他の店舗で強盗をして逮捕され、ニュース・新聞に載ったこともありました。

「なんで店長が他の店舗の強盗をするのだろう」と思う人も多くいたでしょうが、私にはその理由がよくわかりました。

「客を殺してでも奪え」「強奪してでも金を奪え」という指示があるのです。

はっきり言って小学校より環境が悪いと感じました。

私はそんな世界を横目に「絶対にこんなところには勤めないようにしよう」と心に誓いました。

労働基準法違反どころか、実際に犯罪者を生み出しています。


開き直る親に絶望した

本当に教育を受けてきたのか、人間として彼らはどこに向かっているのか。

学生だった当時、私は親にこの話をしましたが
「それが普通よ」
「あなたは世間に出たことがないからそう言うのよ」

と切り返され、

「こいつらも同類か・・」とあきれ果てました。

親は接客業で他人に「いらっしゃいませ」と言ったこともありません。

毎日19時間労働しているわけでも、休日出勤しているわけでもありません。

まして私のようにそんな職場で無遅刻無欠勤で7年間勤めた経験もありません。

よくもまぁ経験せずに「普通」だの「世間では通用しない」だの言えるな、と。

人殺しや強盗が「普通」と言う親の「世間」とやらはどんなものかと。

接客業で頭を下げるとなれば「よくそんなことできるな」といいます。

「経験したことあるの?」と聞き返せば「いや、ない。」

ほらやっぱり。

現場を知らないくせに虚勢だけ張るのは親の悪い癖です。

7年間勤めても時給が上がったわけでもなく、退社しても送別会も何もありません。

誰が死のうとも、犯罪者になろうとも、翌日には新しいコンクリートで固めて何事もなかったかのように終わりです。

社会はいじめの小学校なので学ぶことはもうない

社会に出たら小学校のいじめの悲惨な現場が再現されています。

人生は学ぶためにあるのです。

先人の知恵を得て賢くなるためにあるのです。

それを自分や社会の生き方に活かしていこうとする建設的な意味があるのです。

大学まで行って、その先が小学校に戻っていると感じるのならば、そこを離れなくてはなりません。

私ははっきりと「もう学ぶことはなにもないな」と感じました。

人生にはいついかなる時でも、尊敬できる師と、共感してくれる仲間が必要です。

大学生に小学校の先生をつけて小学校の授業をしても意味はありません。

もう学んでいるからです。卒業しているからです。

人生という船の帆は常に自分自身で操作して動かさなくては、大学生が小学校で学ぶような悲惨なことになるのです。